・・・ わたくしはラフカヂオ・ハーンが『怪談』の中に、赤坂紀の国坂の暗夜のさま、また市ヶ谷瘤寺の墓場に藪蚊の多かった事を記した短篇のあることを忘れない。それらはいずれも東京のむかしを思起させるからである。 ○ わ・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり、何の墓を見ても、よき夫、よき妻、よき子と書いてある、悪しき人々は何処に葬られているのであろうかという如きことがあったと記憶する。諸君も屍に鞭たないという寛大の心を以て、すべての私の過去を・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・そこは無数の赤ん坊の放り込まれた、お前の今まで楽しんでいた墓場の、腐屍の臭よりも、もっと臭く、もっと湿っぽく、もっと陰気だろうよ。 だが、まだお前は若い。まだお前は六十までには十年ある。いいかい。まだお前は生れてから五十にしかならないん・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・如何に無教育の下等社会だって…………しかし貧民の身になって考て見るとこの窃盗罪の内に多少の正理が包まれて居ない事もない。墓場の鴉の腸を肥すほどの物があるなら墓場の近辺の貧民を賑わしてやるが善いじャないか。貧民いかに正直なりともおのれが飢える・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ 現代の考えぶかい人たちは、十九世紀のロマンティストのように結婚は恋愛の墓場であるという風なものの見かたはしていないのが現実だと思う。 恋愛の感情にしろ、天を馳ける金色雲のようには見ていないと思う。もっと、私たち人間が自然に生きてゆ・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
・・・魂を激しい愛――愛と云うものを理解した愛――でインスパイアしてくれるどころか、只怠いくつな寄生虫となって、無表情の顔を永遠の墓場まで並べて行かなければならない――。 其は、女性である私が考えてもぞっとする事でございます。人間として、悲し・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・雨が降ると、寺の低い方にある墓場で、火が燃える。夜になると雨戸のところから其が見えると、ぞくぞくすることを教えたのも、その小坊僧さんであった。 子供らにとって、新しい冒険と面白さの尽きない夏がはじまった。祖母と母も、新しい鰺を美味しがっ・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・これらのお化けは、いつもやぶけた提灯だの、墓場のそとうばと関係があり、そのそとうばは、昼間日のよくさしている養源寺の墓地にもやっぱりいっぱい古いのや新しいのが立っているのだった。 考えてみると、母はよくその頃、養源寺へお詣りに行った。子・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・ゴーリキイは、墓場の濃い灌木の茂みの中でもたれる彼等の集りに行った。すると、彼等は波止場稼ぎの若者であるゴーリキイが「何を読んだかということを厳重に問いただした上で」彼等の研究会でゴーリキイも勉強するように決定した。そこではゴーリキイが一番・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・そして、裏庭を突き切って墓場の方へ馳け出すと、秋三は胸を拡げてその後から追っ馳けた。二 本堂の若者達は二人の姿が見えなくなると、彼らの争いの原因について語合いながらまた乱れた配膳を整えて飲み始めた。併し、彼らの話は、唐紙の倒・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫