・・・――すぐこの階のもとへ、灯ともしの翁一人、立出づるが、その油差の上に差置く、燈心が、その燈心が、入相すぐる夜嵐の、やがて、颯と吹起るにさえ、そよりとも動かなかったのは不思議であろう。 啾々と近づき、啾々と進んで、杖をバタリと置いた。・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・「何、帰りの支度でゃ、夜嵐で提灯は持たねえもんだで。」中の河内までは、往還六里余と聞く。――駕籠は夜をかけて引返すのである。 留守に念も置かないで、そのまま駕籠を舁出した。「おお、あんばいが悪いだね、冷えてはなんめえ。」樹立の暗くなった・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・ 油気も無く擦切るばかりの夜嵐にばさついたが、艶のある薄手な丸髷がッくりと、焦茶色の絹のふらしてんの襟巻。房の切れた、男物らしいのを細く巻いたが、左の袖口を、ト乳の上へしょんぼりと捲き込んだ袂の下に、利休形の煙草入の、裏の緋塩瀬ばかりが・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・あくる日、雪になろうとてか、夜嵐の、じんと身に浸むのも、木曾川の瀬の凄いのも、ものの数ともせず、酒の血と、獣の皮とで、ほかほかして三階にぐっすり寝込んだ。 次第であるから、朝は朝飯から、ふっふっと吹いて啜るような豆腐の汁も気に入った。・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・冬の夜嵐吹きすさぶころとなっても、がさがさと騒々しい音で幽遠の趣をかき擾している。 しかし自分はこの音が嗜きなので、林の奥に座して、ちょこなんとしていると、この音がここでもかしこでもする、ちょうど何かがささやくようである、そして自然の幽・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 三 同じ年の五月に、わたしがその年から数えて七年ほど前に書いた『三柏葉樹頭夜嵐』という拙劣なる脚本が、偶然帝国劇場女優劇の二の替に演ぜられた。わたしが帝国劇場の楽屋に出入したのはこの時が始めてである。座附女優諸・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・島崎土夫主の軍人の中にあるに妹が手にかはる甲の袖まくら寝られぬ耳に聞くや夜嵐 上三句重く下二句軽く、瓢を倒にしたるの感あり。ことに第四句力弱し。狛君の別墅二楽亭広き水真砂のつらに見る庭のながめ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫