・・・と、僕が答えるとたん、から紙が開いて、細君が熱そうなお燗を持って出て来たが、大津生れの愛嬌者だけに、「えろうお気の毒さまどすこと」と、自分は亭主に角のない皮肉をあびせかけ、銚子を僕に向けて、「まア、一杯どうどす?――うちの人は、いつ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・の美人になるだろうと衆人から噂されていた娘であるが、果してその通りで、年の行く毎に益々美しく成る、十七の春も空しく過ぎて十八の夏の末、東京ならば学校の新学期の初まるも遠くはないという時分のこと、法学士大津定二郎が帰省した。 富岡先生の何・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 七番の客の名刺には大津弁二郎とある、別に何の肩書きもない。六番の客の名刺には秋山松之助とあって、これも肩書きがない。 大津とはすなわち日が暮れて着いた洋服の男である。やせ形な、すらりとして色の白いところは相手の秋山とはまるで違って・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ャンパー、ワイシャツ、セーター、ズボン、冗談を言いながら全部売り払い、かわりに古着の兵隊服上下を買い、浮いた金で昼から二人で酒を飲み、それから、大陽気で北川という青年とわかれ、自分ひとり京阪四条駅から大津に向う。なぜ、大津などに行ったのかは・・・ 太宰治 「犯人」
・・・またこれと共通な点のあるのは、平生のギバよけのまじないとして、馬に腹当てをさせるとよい、ただしそれは「大津東町上下仕合」と白く染めぬいたものを用いる。「このアブヨケをした馬がギバにかけられてたおれたのを見た事がないと、言われている」。 ・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・左に近く大津の町つらなりて、三井寺木立に見えかくれす。唐崎はあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ堅田も石山も粟津もすべて判らず。九つの歳父母に従うて東海道を下りし時こゝの水楼にはやの塩焼の骨と肉とが面白く離るゝを面白がりし事など思い出し・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・松戸にて口よりいづるままにふくろふの糊すりおけと呼ぶ声に衣ときはなち妹は夜ふかすこぼれ糸さでにつくりて魚とると二郎太郎三郎川に日くらす行路雨雨ふれば泥踏なづむ大津道我に馬ありめさね旅人古・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・そこが大津であった。私は初めてここの小学校へ入学した。湖を渡る蒸気船が学校のすぐ横の桟橋から朝夕出ていったり、這入って来たりするたびに、汽笛が鳴った。ここの学校に私は一ヶ月もいると、すぐ同じ街の西の端にある学校へ変った。家がまた新しく変った・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫