・・・その霧を抽いて、青天に聳えたのは昔の城の天守である。 聞け――時に、この虹の欄間に掛けならべた、押絵の有名な額がある。――いま天守を叙した、その城の奥々の婦人たちが丹誠を凝した細工である。 万亭応賀の作、豊国画。錦重堂板の草双紙、―・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 一昨日松本で城を見て、天守に上って、その五層めの朝霜の高層に立って、ぞっとしたような、雲に連なる、山々のひしと再び窓に来て、身に迫るのを覚えもした。バスケットに、等閑に絡めたままの、城あとの崩れ堀の苔むす石垣を這って枯れ残った小さな蔦・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 就中、公孫樹は黄なり、紅樹、青林、見渡す森は、みな錦葉を含み、散残った柳の緑を、うすく紗に綾取った中に、層々たる城の天守が、遠山の雪の巓を抽いて聳える。そこから斜に濃い藍の一線を曳いて、青い空と一刷に同じ色を連ねたのは、いう迄もなく田・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・昔は天主閣の建っていた所が平地になって、いつしか姫小松まばらにおいたち、夏草すきまなく茂り、見るからに昔をしのばす哀れなさまとなっています。 私は草を敷いて身を横たえ、数百年斧の入れたことのない欝たる深林の上を見越しに、近郊の田園を望ん・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・ 矢場は正木大尉や桜井先生などが発起で、天主台の下に小屋を造って、楓、欅などの緑に隠れた、極く静かな位置にあった。丁度そこで二人は大尉と体操の教師とに逢った。まだ他の顔触も一人二人見えた。一時は塾の連中が挙ってそこへ集ったことも有ったが・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・幼いときからして天主の法をうけ、学に従うこと二十二年、そのあいだ十六人もの先生についた。三十六歳のとき、本師キレイメンス十二世からヤアパンニアに伝道するよう言いつけられた。西暦一千七百年のことである。 シロオテは、まず日本の風俗と言葉と・・・ 太宰治 「地球図」
・・・ 天守台跡に上っているとどこかでからすの鳴いているのが「アベバ、アベバ」と聞こえる。こういうからすの声もめったに聞いたことがないような気がした。石崖の上の端近く、一高の学生が一人あぐらをかいて上着を頭からすっぽりかぶって暑い日ざしをよけ・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・その頃、小田原の城跡には石垣や堀がそのまま残っていて、天主台のあった処には神社が建てられ、その傍に葭簀張の休茶屋があって、遠眼鏡を貸した。わたくしが父に伴われて行った料理茶屋は堀端に生茂った松林のかげに風雅な柴折門を結んだ茅葺の家であった。・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ 濠を渡せば門も破ろう、門を破れば天主も抜こう、志ある方に道あり、道ある方に向えとルーファスは打ち壊したる扉の隙より、黒金につつめる狼の顔を会釈もなく突き出す。あとに続けと一人が従えば、尻を追えと又一人が進む。一人二人の後は只我先にと乱・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・白塔は塔中のもっとも古きもので昔しの天主である。竪二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に角楼が聳えて所々にはノーマン時代の銃眼さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に譲位をせまったのはこの塔中で・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
出典:青空文庫