・・・一時は将棋盤の八十一の桝も坂田には狭すぎる、といわれるほど天衣無縫の棋力を喧伝されていた坂田も、現在の棋界の標準では、六段か七段ぐらいの棋力しかなく、天才的棋師として後世に記憶される人とも思えない。わずかに「銀が泣いてる坂田は生きてる」とい・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・人類はじまって以来、多くの天才は僕らが借りるべき多くの着物を残してくれました。僕らは借着にことを欠きません。それに、借着をすれば、手間がはぶけて損料を払うだけでモーニングだとか紋附だとか――つまり実存主義は、戦後の混乱と不安の中にあるフラン・・・ 織田作之助 「猫と杓子について」
・・・ 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った天才にも似ている! この空想はいつも私を悲しくする。その全き悲しみのために、この結末の妥当であるかどうかということさえ、私にとっては問題ではなくなってしまう。しかし、はたして、爪を抜かれた猫・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・この少年は数学は勿論、その他の学力も全校生徒中、第二流以下であるが、画の天才に至っては全く並ぶものがないので、僅に塁を摩そうかとも言われる者は自分一人、その他は、悉く志村の天才を崇め奉っているばかりであった。ところが自分は志村を崇拝しない、・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・実は――もう白状してもいいから言うが――実は僕近ごろ自分で自分を疑い初めて、果たしておれに美術家たるの天才があるのだろうか、果たしておれは一個の画家として成功するだろうかなんてしきりと自脈を取っていたのサ。断然この希望をなげうってしまうかと・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・すなわち、自己独りではとうてい想望できなかったような高い、美しいイデーや、夢が他の天才の書を読むことにより、自分の精神の視野に目ざめてくるのである。 聖書を読むまでと、読後とでは、人間の霊的道徳性はたしかに水準を異にする。プラトンとダン・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・トルストイのような古今無双の天才でも、自分が実際行ったセバストポールと、想像と調査が書いた「戦争と平和」に於ける戦争とには、段がついている。「セバストポール」には、本当にその場に行き合わしたものでなければ出せないものがある。それが吾々を・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・心慧思霊の非常の英物で、美術骨董にかけては先ず天才的の眼も手も有していた人であったが、或時金きんしょうから舟に乗り、江右に往く、道に毘陵を経て、唐太常に拝謁を請い、そして天下有名の彼の定鼎の一覧を需めた。丹泉の俗物でないことを知って交ってい・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・北村君の天才は恐るべき生の不調和から閃き発して来た。で、種々な空想に失望したり、落胆したりして、それから空しい功名心も破れて――北村君自身の言葉で言えば「功名心の梯子から落ちて」――そうして急激な勢で文学の方へ出て来るようになったのである。・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・に接して、私は埋もれたる無名不遇の天才を発見したと思って興奮したのである。 嘘ではないか? 太宰は、よく法螺を吹くぜ。東京の文学者たちにさえ気づかなかった小品を、田舎の、それも本州北端の青森なんかの、中学一年生が見つけ出すなんて事は、ま・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫