・・・ただその中で聊か滑稽の観があったのは、読みかけた太平記を前に置いて、眼鏡をかけたまま、居眠りをしていた堀部弥兵衛が、眼をさますが早いか、慌ててその眼鏡をはずして、丁寧に頭を下げた容子である。これにはさすがな間喜兵衛も、よくよく可笑しかったも・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ いや、話していないどころか、あたかも蟹は穴の中に、臼は台所の土間の隅に、蜂は軒先の蜂の巣に、卵は籾殻の箱の中に、太平無事な生涯でも送ったかのように装っている。 しかしそれは偽である。彼等は仇を取った後、警官の捕縛するところとなり、・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・ 侏儒の祈り わたしはこの綵衣を纏い、この筋斗の戯を献じ、この太平を楽しんでいれば不足のない侏儒でございます。どうかわたしの願いをおかなえ下さいまし。 どうか一粒の米すらない程、貧乏にして下さいますな。どうか又熊掌に・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・そして人の世は無事泰平で今日までも続き来たった。 しかし迷信はどこまでも迷信の暗黒面を腰にさげている。中庸というものが群集の全部に行き渡るやいなや、人の努力は影を潜めて、行く手に輝く希望の光は鈍ってくる。そして鉛色の野の果てからは、腐肥・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ 惟うに、太平の世の国の守が、隠れて民間に微行するのは、政を聞く時より、どんなにか得意であろう。落人のそれならで、そよと鳴る風鈴も、人は昼寝の夢にさえ、我名を呼んで、讃美し、歎賞する、微妙なる音響、と聞えて、その都度、ハッと隠れ忍んで、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 水層はいよいよ高く、四ツ目より太平町に至る十五間幅の道路は、深さ五尺に近く、濁流奔放舟をもって渡るも困難を感ずるくらいである。高架線の上に立って、逃げ捨てたわが家を見れば、水上に屋根ばかりを見得るのであった。 水を恐れて雨に懊悩し・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・彼の徳川時代の初期に於て、戦乱漸く跡を絶ち、武人一斉に太平に酔えるの時に当り、彼等が割合に内部の腐敗を伝えなかったのは、思うに将軍家を始めとして大名小名は勿論苟も相当の身分あるもの挙げて、茶事に遊ぶの風を奨励されたのが、大なる原因をなし・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・幸い革命党に人物がないから太平を粧っていられるが、何年か後には必ず意外の機会から全露を大混乱に陥れる時がある」とはしばしば云い云いした。「その時が日本の驥足を伸ぶべき時、自分が一世一代の飛躍を試むべき時だ」と畑水練の気焔を良く挙げたもんだ。・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・それは文芸の隆盛な時代は、大概太平な時代であったからである。そして、芸術が享楽階級の用立とされていたからでもある。徳川時代の戯作者は、その最もいゝ例である。 人情の機微を穿つとか、人間と人間の関係を忠実に細叙するとかいうのも、この世の中・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・ で、店は繁昌するし、後立てはシッカリしているし、おまけに上さんは美しいし、このまま行けば天下泰平吉新万歳であるが、さてどうも娑婆のことはそう一から十まで註文通りには填まらぬもので、この二三箇月前から主はブラブラ病いついて、最初は医者も・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫