・・・ が、その生徒が席に復して、先生がそこを訳読し始めると、再び自分たちの間には、そこここから失笑の声が起り始めた。と云うのは、あれほど発音の妙を極めた先生も、いざ翻訳をするとなると、ほとんど日本人とは思われないくらい、日本語の数を知ってい・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・僕は他意なく失笑した。翌る朝、青扇夫婦はたくさんの世帯道具をトラックで二度も運ばせて引越して来たのであるが、五十円の敷金はついにそのままになった。よこすものか。 引越してその日のひるすぎ、青扇は細君と一緒に僕の家へ挨拶しに来た。彼は黄色・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・酒の瓶に十五等分の目盛を附し、毎日、きっちり一目盛ずつ飲み、たまに度を過して二目盛飲んだ時には、すなわち一目盛分の水を埋合せ、瓶を横ざまに抱えて震動を与え、酒と水、両者の化合醗酵を企てるなど、まことに失笑を禁じ得ない。また配給の三合の焼酎に・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・かつて叡智に輝やける眉間には、短剣で切り込まれたような無慙に深い立皺がきざまれ、細く小さい二つの眼には狐疑の焔が青く燃え、侍女たちのそよ風ほどの失笑にも、将卒たちの高すぎる廊下の足音にも、許すことなく苛酷の刑罰を課した。陰鬱の冷括、吠えずし・・・ 太宰治 「古典風」
・・・、腹をかかえて大笑いしたのであるが、この雑誌の読者もまた、明日の鴎外、漱石、ゲエテをさえ志しているにちがいないのだから、このちっとも有名でないし、偉くもない作家の、おそろしく下等な叫び声には、さだめし失笑なされたことであろう。それでいいのだ・・・ 太宰治 「困惑の弁」
・・・ など言って相擁して泣く芝居は、もはやいまの観客の失笑をかうくらいなものであろう。 さいきん私は、からだ具合いを悪くして、実に久しぶりで、小さい盃でちびちび一級酒なるものを飲み、その変転のはげしさを思い、呆然として、わが身の下落の取・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・ はじめこの家にやってきたころは、まだ子供で、地べたの蟻を不審そうに観察したり、蝦蟇を恐れて悲鳴を挙げたり、その様には私も思わず失笑することがあって、憎いやつであるが、これも神様の御心によってこの家へ迷いこんでくることになったのかもしれ・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・れひとり得意でたまらず、文壇の片隅にいて、一部の物好きのひとから愛されるくらいが関の山であるのに、いつの間にやら、ひさしを借りて、図々しくも母屋に乗り込み、何やら巨匠のような構えをつくって来たのだから失笑せざるを得ない。 今月は、この男・・・ 太宰治 「如是我聞」
男と女は、ちがうものである。あたりまえではないか、と失笑し給うかも知れぬが、それでいながら、くるしくなると、わが身を女に置きかえて、さまざまの女のひとの心を推察してみたりしているのだから、あまり笑えまい。男と女はちがうもの・・・ 太宰治 「女人創造」
・・・生徒たちは顔を見合せて、失笑しました。私の老いたロマンチシズムが可笑しかったのかも知れません。 正門前で自動車から降りて、見ると、学校は渋柿色の木造建築で、低く、砂丘の陰に潜んでいる兵舎のようでありました。玄関傍の窓から、女の人の笑顔が・・・ 太宰治 「みみずく通信」
出典:青空文庫