・・・面貌、姿態の如きものであろうか。宿命なり。いたしかたなし。感謝の文学 日本には、ゆだん大敵という言葉があって、いつも人間を寒く小さくしている。芸術の腕まえにおいて、あるレヴェルにまで漕ぎついたなら、もう決して上りもせず、また・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・その音源はお園からは十メートル近くも離れた上手の太夫の咽喉と口腔にあるのであるが、人形の簡単なしかし必然的な姿態の吸引作用で、この音源が空中を飛躍して人形の口へ乗り移るのである。この魔術は、演技者がもしも生きた人間であったら決してしとげられ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・たとえば獅子やジラフやゼブラそのものの生活姿態のおもしろいことはもちろんであるが、その周囲の環境ならびにその環境との関係が意外な新しい知識と興味を呼び起こす場合がはなはだ多い。たとえばライオンと風になびく草原との取り合わせなどがそうである。・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・のは売り手のじいさんの団扇の使い方の巧妙なことであった。団扇の微妙な動かし方一つでおどけた四角の紙の獅子が、ありとあらゆる、「いわゆる獅子」の姿態をして見せる。つくづく見ていると、この紙片に魂がはいって、ほんとうに二匹の獅子が遊び戯れ相角逐・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・そのときのこの若くて眉目秀麗な力士の姿態にどこか女らしくなまめかしいところのあるのを発見して驚いたことであった。四 大学生時代に回向院の相撲を一二度見に行ったようであるがその記憶はもうほとんど消えかかっている。ただ、常陸山、・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・しかし私は猫のこの挙動に映じた人間の姿態を熟視していると滑稽やら悲哀やらの混合した妙な心持ちになるのである。 このぶんでは今に子猫は死んでしまいそうな気がした。時々食ったものをもどして敷き物をよごすような事さえあった。夜はもう疲れ切って・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・しかるに二人の話し合っている姿態から顔の表情に至っては全く日本人離れがしている。周囲のおおぜいの乗客はたった今墓場から出て来たような表情であるのに、この二人だけは実に生き生きとしてさも愉快そうに応答している。それが夫婦でもなくもちろん情人で・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・丈はすらりとした方だが、そう大きくもなく、姿態がほどよく整っていた。 道太たちが長火鉢に倚ろうとすると、彼女は中の間の先きの庭に向いた部屋へ座蒲団を直して、「そこは暑いぞに。ここへおいでたら」と勧めた。「この家も久しいもんだね。・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・西洋の名画にちなんだ姿態を取らせて、モデルの裸体を見せるのはジャズ舞踊の間にはさんでやるのである。見てしまえば別に何処が面白かったと言えないくらいなもので、洗湯へ行って女湯の透見をするのと大差はない。興味は表看板の極端な絵を見て好奇心に駆ら・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・そこから出発して宗達は賢くも、樹木、流木、岩や山などの自然又は橋、船、車、家屋というような建造物を先ず様式化し、生きている人間が示す感興つきない様々の姿態はそのままの血のぬくみをもって、簡明にされた背景の前に浮きたたせたと思える。 そう・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
出典:青空文庫