一 為吉とおしかとが待ちに待っていた四カ年がたった。それで、一人息子の清三は高等商業を卒業する筈だった。両人は息子の学資に、僅かばかりの財産をいれあげ、苦労のあるだけを尽していた。ところが、卒業まぎわにな・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・家の様子をみにきたぼくは姉に掴りました。学資がなく学校も止めさせられ、ぼくは義兄の世話で月給十八円で或る写真工場につとめに出ました。母と共に二間の長屋に住んで。――ぼくは直ちに職場に組織を作り、キャップとなり、仕事を終えると、街で上の線と逢・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・月々郷里から学資を貰って金の心配もなし、この上気楽な境遇はなかった筈であるが、若い心には気楽無事だけでは物足りなかった。きまりきった日々の課業をして暇な時間を無意味に過すと云うような事がむしろ堪え難い苦痛であった。ただ何かしら絶えず刺戟が欲・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・せっかく一身を立てさせようと思えばこそ、祖先伝来の田地を減らしてまで学資を給してくれた父を、まあ失望させたような有様で、草深い田舎にこの年まで燻ぶらせているかと思うと、何となく悲しい心持になってしまうのだ。三十にしてなお俗吏なりと云うような・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・その時に夏目先生の英語をしくじったというのが自分の親類つづきの男で、それが家が貧しくて人から学資の支給を受けていたので、もしや落第するとそれきりその支給を断たれる恐れがあったのである。 初めて尋ねた先生の家は白川の河畔で、藤崎神社の近く・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・或ハ弟妹ニ学資ヲ与フルモノアリ。或ハ淫肆放縦ニシテ獲ル所ノモノハ直ニ濫費シテ惜シマザルモノアリ。各其ノ為人ニ従ツテ為ス所ヲ異ニス。婢ノ楼ニ在ツテ客ヲ邀フルヤ各十人ヲ以テ一隊ヲ作リ、一客来レバ隊中当番ノ一婢出デヽ之ニ接ス。女隊ニ三アリ。一ヲ紅・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・親父が無理算段の学資を工面して卒業の上は月給でも取らせて早く隠居でもしたいと思っているのに、子供の方では活計の方なんかまるで無頓着で、ただ天地の真理を発見したいなどと太平楽を並べて机に靠れて苦り切っているのもある。親は生計のための修業と考え・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・僕なぞは学資に窮した時、一日に白米二合で間に合せた事がある」「痩せたろう」と碌さんが気の毒な事を聞く。「そんなに痩せもしなかったがただ虱が湧いたには困った。――君、虱が湧いた事があるかい」「僕はないよ。身分が違わあ」「まあ経・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・なるほど留学生の学資は御話しにならないくらい少ない。倫敦ではなおなお少ない。少ないがこの留学費全体を投じて衣食住の方へ廻せば我輩といえども最少しは楽な生活ができるのさ。それは国にいる時分の体面を保つ事は覚束ないが(国にいれば高等官一等から五・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・帝大とよばれた時代でも学力と学資があれば、もちろん、士族、平民という戸籍上の差別が入学者の資格を左右するものではなかった。しかし、日本のあらゆる官僚機構と学界のすべての分野に植えこまれている学閥の威力は、帝大法科出身者と日大の法科出身者とを・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
出典:青空文庫