・・・を註釈して勿体つける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称えこれを尊ぶ俗人もありて、芭蕉という名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、咳唾珠を成し句々吟誦するに堪えながら、世人はこれを知らず、宗匠はこれを尊ばず、百年間空しく瓦礫とと・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 短歌は日本の民族がもって来た文学のジャンルですから、それを破壊するより、そこに新しい真実と実感がもられるように、歌壇の下らない宗匠気風にしみないみなさまの御努力が希われます。 登龍のむずかしいアララギ派に云々とかかれている方のお言・・・ 宮本百合子 「歌集『仰日』の著者に」
・・・ センセーショナリズムに対して抵抗を失った風俗文学の条件反射は、人情と芸大事の宗匠、里見や久保田万太郎などまでをいつかその創作のモティーヴのとらえかたにおいて影響しているように見える。由起しげ子の小説「警視総監の笑い」のモデルであったと・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・り合わせた、見て居て、自分もくすぐったくなる程〔欄外に〕 よく見るとうるしの刷目のようなむらさえ頭や翅にあり、一寸緑色がぼやけて居るあたりの配色の美、 田舎の寺の和尚・宗匠 何でも云いたいことを十七字・・・ 宮本百合子 「一九二七年八月より」
・・・釣月軒として一人前の宗匠であったろう。青年宗匠として彼の才分は、もし生計を打算したら大阪で生活しても行けるだけのものであったろうのに、宗房釣月軒はどんな心持から江戸へ目を向けたのだろうか。江戸へ老後の安楽を求め、立身出世の道を求めて来たとす・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫