・・・成程これでは小児などに「いやに傲慢な男です」と悪口を云われることもあるかも知れない。僕は蛇笏君の手紙を前に頼もしい感じを新たにした。春雨の中や雪おく甲斐の山 これは僕の近作である。次手を以て甲斐の国にいる蛇笏君に献上したい。僕は又こ・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・日本もまた小児に教える歴史は、――あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている。たとえば日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではないか?「大唐の軍将、戦艦一百七十艘を率いて白村江・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・大きな稍々しまりのない口の周囲には、小児の産毛の様な髯が生い茂って居る。下の大きな、顴骨の高い、耳と額との勝れて小さい、譬えて見れば、古道具屋の店頭の様な感じのする、調和の外ずれた面構えであるが、それが不思議にも一種の吸引力を持って居る。・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・ああ、二人はもとは家の家来の子で、おとうさんもおかあさんもたいへんよいかたであったが、友だちの讒言で扶持にはなれて、二、三年病気をすると二人とも死んでしまったのだ、それであとに残された二人の小児はあんな乞食になってだれもかまう人がないけれど・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・宿屋の硯を仮寝の床に、路の記の端に書き入れて、一寸御見に入れたりしを、正綴にした今度の新版、さあさあかわりました双六と、だませば小児衆も合点せず。伊勢は七度よいところ、いざ御案内者で客を招けば、おらあ熊野へも三度目じゃと、いわれてお供に早が・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・されど、小児等も不便なり、活計の術を教うるなりとて、すなわち餡の製法を伝えつ。今はこれまでぞと云うままに、頸を入れてまた差覗くや、たちまち、黒雲を捲き小さくなりて空高く舞上る。傘の飛ぶがごとし。天赤かりしとや。天狗相伝の餅というものこれなり・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・、日本の茶の湯は特別的であるが欧洲人のは日常の風習である、吾々の特に敬服感嘆に堪えないのは其日常の点と家庭的な点にあるのである、人間の嗜好多端限りなき中にも、食事の趣味程普遍的なものはない、大人も小児も賢者も智者も苟も病気ならざる限り如・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・御蛇が池といえば名は怖ろしいが、むしろ女小児の遊ぶにもよろしき小湖に過ぎぬ。 湖畔の平地に三、四の草屋がある。中に水に臨んだ一小廬を湖月亭という。求むる人には席を貸すのだ。三人は東金より買い来たれる菓子果物など取り広げて湖面をながめつつ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・親子四人の為めに僅かの給料で毎日々々こき使われ、帰って晩酌でも一杯思う時は、半分小児の守りや。養子の身はつらいものや、なア。月末の払いが不足する時などは、借金をするんも胸くそ悪し、いッそ子供を抱いたまま、湖水へでも沈んでしまおか思うことがあ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・江戸時代には一と口に痲疹は命定め、疱瘡は容貌定めといったくらいにこの二疫を小児の健康の関門として恐れていた。尤も今でも防疫に警戒しているが、衛生の届かない昔は殆んど一年中間断なしに流行していた。就中疱瘡は津々浦々まで種痘が行われる今日では到・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫