・・・せっかくだんだんと彫上げて行って、も少しで仕上になるという時、木の事だから木理がある、その木理のところへ小刀の力が加わる。木理によって、薄いところはホロリと欠けぬとは定まらぬ。たとえば矮鶏の尾羽の端が三分五分欠けたら何となる、鶏冠の蜂の二番・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・と不足らしい顔つきして女を見送りしが、何が眼につきしや急にショゲて黙然になって抽斗を開け、小刀と鰹節とを取り出したる男は、鰹節の亀節という小きものなるを見て、「ケチびんなものを買っときあがる。と独言しつつそこらを見廻して、やがて・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・彼女は小山の家の方の人達から鋏を隠されたり小刀を隠されたりしたことを切なく思ったばかりでなく、肉親の弟達からさえ用心深い眼で見られることを悲しく思った。何のための上京か。そんなことぐらいは言わなくたって分っている、と彼女は思った。 到頭・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・若き頃より歯が悪く、方々より旅の入歯師来れどもなかなかよき師にめぐり合う事なく、遂に自分で小刀細工して入歯を作った。折紙細工に長じ、炬燵の中にて、弟子たちの習う琴の音を聴き正しつつ、鼠、雉、蟹、法師、海老など、むずかしき形をこっそり紙折って・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・枯れた根株の、眉間と水落ちに相当する高さの個処へ小刀で三角の印をつけ、毎日毎日、ぽかりぽかりと殴りつけた。おまえ、間違ってはいませんか。冗談じゃないかしら。おまえのその鼻の先が紫いろに腫れあがるとおかしく見えますよ。なおすのに百日もかかる。・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・それはただ雑然たる小刀細工や糊細工の行列としか見えなかった。ダイアモンドを見たあとでガラスの破片を見るような気がした。しかし観客は盛んに拍手を送った。中途から退席して表へ出で入り口を見ると「満員御礼」とはり札がしてあった。「唐人お吉」にして・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・そうして、墨をよこさなければ帰りに待伏せすると威かされ、小刀をくれないとしでるぞと云っては脅かされた。その頃の硬派の首領株の一人はその後人力車夫になったと聞いたが、それからどうなったか一度も巡り合わずそれきり消息を知ることが出来ない。 ・・・ 寺田寅彦 「鷹を貰い損なった話」
・・・象牙のブックナイフはその後先端が少し欠けたのを、自分が小刀で削って形を直してあげたこともあった。時代をつけると言ってしょっちゅう頬や鼻へこすりつけるので脂が滲透して鼈甲色になっていた。書斎の壁にはなんとかいう黄檗の坊さんの書の半折が掛けてあ・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・読みさした所に象牙を薄く削った紙小刀が挟んである。巻に余って長く外へ食み出した所だけは細かい汗をかいている。指の尖で触ると、ぬらりとあやしい字が出来る。「こう湿気てはたまらん」と眉をひそめる。女も「じめじめする事」と片手に袂の先を握って見て・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・我々があの人は肉刺の持ちようも知らないとか、小刀の持ちようも心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければあっちこっちの真似をさせて主客の位地を易えるのは容易の事・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫