・・・けれども青い幌を張った、玩具よりもわずかに大きい馬車が小刻みにことこと歩いているのは幼目にもハイカラに見えたものである。 一六 水屋 そのころはまた本所も井戸の水を使っていた。が、特に飲用水だけは水屋の水を使っていた・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ 姫のその姿が、正面の格子に、銀色の染まるばかり、艶々と映った時、山鴉の嘴太が――二羽、小刻みに縁を走って、片足ずつ駒下駄を、嘴でコトンと壇の上に揃えたが、鴉がなった沓かも知れない、同時に真黒な羽が消えたのであるから。 足が浮いて、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・渠らのある者は沈痛に、ある者は憂慮わしげに、はたある者はあわただしげに、いずれも顔色穏やかならで、忙しげなる小刻みの靴の音、草履の響き、一種寂寞たる病院の高き天井と、広き建具と、長き廊下との間にて、異様の跫音を響かしつつ、うたた陰惨の趣をな・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ 俺は始め身体がどうしても小刻みにふるえて、困った。「どうだ、初めての着工合は……」 と看守が云った。 俺は、知らないうちに入っていた肩から力を抜いて、ゆっくり、大きく息を吸いこんだ。「この廊下を真ッ直ぐに行くんだ、――・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・水平に持って歩いていた網を前下がりに取り直し、少し中腰になったまま小刻みの駆け足で走り出した。直径百メートルもあるかと思う円周の上を走って行くその円の中心と思う辺りを注意して見るとなるほどそこに一羽の鳥が蹲っている。そうしてじっと蹲ったまま・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・と土地でいわれている彼女たちは、小刻みに前のめりにおそろしく早く歩く。どっちかの肩を前におしだすようにして、工場の門からつきとばされたいきおいで、三吉の左右をすりぬけてゆく。汗のにおい、葉煙草のにおい。さまざまな語尾のみじかいしゃべりやわら・・・ 徳永直 「白い道」
・・・そういう時には尻尾を脚の間へ曲げこんで首を垂れて極めて小刻みに帰って行く。赤は又庭へ雀がおりても駈けて行く。庭の桐の木から落ちたササキリが其長い髭を徐ろに動かしてるのを見て、赤は独で勇み出して庭のうちに輪を描いて駈け歩いた。そうしては足で一・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 置時計の小刻みなチクタクが夜の静寂を量った。 翌朝、さほ子は重大事件があると云う顔つきで、朝飯を仕舞うと早速独りで外出した。 彼女は街のポウストにれんを呼び戻すはがきを投函し、一つ紙包を下げて帰って来た。 良人は妙に遠慮勝・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・せり上って来る熊谷次郎の髪も菊の花でできた鐙も馬もいちように小刻みに震動しながら、陰気な軋みにつれて舞台に姿を現して来るのだった。閑静な林町の杉林のある通りへ菊人形の楽隊の音は、幾日もつづけて、実際あるよりも面白いことがありそうにきこえて来・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・実際に百貨店の娘さんたちの動きを見ていると、陳列台や勘定台の間を終始動いている動きは、劇しくせわしいけれども、動きそのものとして実に小刻みで小さい。若い脚がのびたいだけ伸ばされ、しなやかな背中が向きたいだけ大きく向きかわって闊達に動作してい・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
出典:青空文庫