・・・被検挙者中には、大森義太郎、向坂逸郎、猪俣津南雄、山川均、荒畑寒村等の諸氏がある。末次内務大臣は、大学専門学校等の周囲三百米から喫茶店、ビリヤード、マージャン等の店を撤廃するように命じ、従来の自由主義的な学生の取締方法を変更するべきことをす・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・フランス、イギリスその他ヨーロッパ諸国のとおり、日本も明治維新によって、ブルジョア革命を完成しきった近代市民社会になっているのか、あるいはそうでないかという点について、大論争が行われていた。山川均を中心とする労農派は、明治維新によって日本の・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・という記事があり、山川菊栄、森田たま、河崎なつの諸名流女史が夫々執筆していられる。河崎なつ氏をのぞいて、他の二人、特に山川菊栄女史の文章は面白い。女史は「先ず手近から」男を観察し、女中の留守には自分の洗ったお茶碗を傍で拭き、得意の庖丁磨きを・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
・・・しかしこの事業内容が発表された時、先日来、山川菊栄女史によって発表されていた現代日本の女学生気質についての批判をおのずから思いおこした人が、決してすくなくなかったであろうと思う。 都下のある女学校で女学生たちの将来の希望を質問したら八十・・・ 宮本百合子 「世界一もいろいろ」
・・・ 高津正道、佐野学、山川均菊栄氏等もやられたと云う噂あり。実に複雑な世相。一部の人々は皆この際やってしまう方がよいと云う人さえある。社会主義がそれで死ぬものか、むずかしいことだ。だまし打ちにしたのはとにかく非人道な行為としなければなるま・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・労農芸術家連盟が分裂して脱退派が前衛芸術家同盟を組織したときだって、イデオロギー的理由がちゃんとあった。山川均の労芸を政治的に利用しようとした野心的企てに==山川の政治理論に==賛成のものと不賛成のものとが分れたのだ。コミンテルンで山川均が・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・確か大正十一年の夏と思う。山川菊栄などが実際の発起者で、与謝野晶子、埴原久和代、其の他多勢とロシヤ飢饉救済会の仕事をした。一九二三年関東大震災の被害は直接は受けなかった。三宅やす子の『ウーマンカレント』を中心・・・ 宮本百合子 「年譜」
先頃、山川氏の『朱実作品集』を、いろいろの点から興味ふかく読んだ。それと前後して窪川いね子の作品集『牡丹のある家』を読んでいたのであったが、私は、全く内容の種類を異にしたこの二つの作品集から、計らずも一つの共通した印象を与・・・ 宮本百合子 「二つの場合」
・・・我々は驚異の海のただ中に浮かんでいる。山川草木はことごとく浄光を発して光り輝く。そういったような気持ちを寺田さんは我々に伝えてくれるのである。こうしてあの小さい電車のなかの一時間は自分には実に楽しいものになった。 あの日は寺田さんは非常・・・ 和辻哲郎 「寺田さんに最後に逢った時」
出典:青空文庫