・・・ といいかけて、行かむとしたる、山番の爺はわれらが庵を五六町隔てたる山寺の下に、小屋かけてただ一人住みたるなり。 風吹けば倒れ、雨露に朽ちて、卒堵婆は絶えてあらざれど、傾きたるまま苔蒸すままに、共有地の墓いまなお残りて、松の蔭の処々・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・その、炭焼きか山番かであろう男が一人いる処は、向う山か、遙かな天城山の奥か。 或る角で振返ったら、いつか背後に眺望が展け、連山の彼方に富士が見えた。頂の雪は白皚々、それ故晴れた空は一きわ碧く濃やかに眺められ、爽やかに冷たい正月の風は悉く・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
・・・けれども今はもうすっかり廃跡になって、崩れた舞踏場の傍に、小さい小屋掛けをした老人の山番が、犬を一匹友達にして棲んで居る限りでございます。きっと、金持連の世間から隔った享楽場として、余り大業な騒ぎかたが却って衰退を早めたのでございましょう。・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・それから苗字を深中と名告って、酒井家の下邸巣鴨の山番を勤めた。 この敵討のあった時、屋代太郎弘賢は七十八歳で、九郎右衛門、りよに賞美の歌を贈った。「又もあらじ魂祭るてふ折に逢ひて父兄の仇討ちしたぐひは」幸に太田七左衛門が死んでから十・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫