やましなく【山科区】
⇒山科
やましなごぼう【山科御坊】
⇒山科別院 (やましなべついん)
やましなでら【山階寺】
《はじめ山城国山階に建てられたところから》興福寺の旧称。
やましなどうり【山階道理】
《藤原氏の氏寺、山階寺(興福寺)が藤原氏の権勢を頼んで無理を押し通したところから》非理非道が権力により道理としてまかり通ること。
やましなときつぐ【山科言継】
[1507〜1579]室町後期の公卿。有職故実に通じ、また、皇室財政維持のため奔走。日記に「言継卿記」がある。
やましなべついん【山科別院】
山科本願寺の跡地に建てられた東西両派の別院。西方に蓮如の墓がある。 京都市山科区にある浄土真宗本願寺派の寺。享保17年(1732)住如が北山別院の旧堂を移して創建。山科別院舞楽寺。山科西御坊。 京都市山科区にある真宗大谷派の寺。享保17年(1732)真如が東本願寺内の長福寺を移して創建。山科別院長福寺。山科東御坊。
やましなほんがんじ【山科本願寺】
京都市山科区にあった浄土真宗の本山。山号は松林山。文明10年(1478)蓮如の創建。天文元年(1532)六角定頼および日蓮宗徒による焼き打ちにあい、大坂石山へ移転。以後長く廃墟となっていたが、跡地に山科別院が建てられた。
やましなりゅう【山科流】
衣紋 (えもん) の流派。室町時代から山科家がつかさどった装束の製作・着用法。天皇・皇太子の装束調進・衣紋は原則としてこの流儀で行われている。→高倉流