・・・実は常子に知られぬように靴下代を工面するだけでも並みたいていの苦労ではない。……「二月×日 俺は勿論寝る時でも靴下やズボン下を脱いだことはない。その上常子に見られぬように脚の先を毛布に隠してしまうのはいつも容易ならぬ冒険である。常子は昨・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・…… 二 僕等は金の工面をしてはカッフェやお茶屋へ出入した。彼は僕よりも三割がた雄の特性を具えていた。ある粉雪の烈しい夜、僕等はカッフェ・パウリスタの隅のテエブルに坐っていた。その頃のカッフェ・パウリスタは中央・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・午後には見知らない青年が一人、金の工面を頼みに来た。「僕は筋肉労働者ですが、C先生から先生に紹介状を貰いましたから」青年は無骨そうにこう云った。自分は現在蟇口に二三円しかなかったから、不用の書物を二冊渡し、これを金に換え給えと云った。青年は・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・浪子夫人も苦労はするが、薬代の工面が出来ない次第ではない。一言にして云えばこの涙は、人間苦の黄昏のおぼろめく中に、人間愛の燈火をつつましやかにともしてくれる。ああ、東京の町の音も全くどこかへ消えてしまう真夜中、涙に濡れた眼を挙げながら、うす・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・来年の種子さえ工面のしようのないのは今から知れ切っていた。 焚火にあたって、きかなくなった馬の前脚をじっと見つめながらも考えこんだまま暮すような日が幾日も続いた。 佐藤をはじめ彼れの軽蔑し切っている場内の小作者どもは、おめおめと小作・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・今に工面してやるから可い、蚊の畜生覚えていろと、無念骨髄でしたよ。まだそれよりか、毒虫のぶんぶん矢を射るような烈い中に、疲れて、すやすや、……傍に私の居るのを嬉しそうに、快よさそうに眠られる時は、なお堪らなくって泣きました。」 聞く方が・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・……廊下に台のものッて寸法にいかないし、遣手部屋というのがないんだもの、湯呑みの工面がつきやしません。……いえね、いよいよとなれば、私は借着の寸法だけれど、花柳の手拭の切立てのを持っていますから、ずッぷり平右衛門で、一時凌ぎと思いましたが、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 世帯を片づけついでに、古い箪笥の一棹も工面をするからどちらへか片附いたらと、体の可いまあ厄介払に、その話がありましたが、あの娘も全く縁附く気はございませず、親身といっては他になし、山の奥へでも一所にといいたい処を、それは遣繰の様子も知・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・その夜、故郷の江戸お箪笥町引出し横町、取手屋の鐶兵衛とて、工面のいい馴染に逢って、ふもとの山寺に詣でて鹿の鳴き声を聞いた処…… ……と思うと、ふとここで泊まりたくなった。停車場を、もう汽車が出ようとする間際だったと言うのである。 こ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・、知り合いの待合や芸者屋に披露して引き幕を贈ってもらわなければならないとか、披露にまわる衣服にこれこれかかるとか、かの女も寝ころびながら、いろいろの注文をならべていたが、僕は、その時になれば、どうとも工面してやるがと返事をして、まず二、三日・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
出典:青空文庫