・・・田舎から出て来たばかりの田吾作が一躍して帝都の檜舞台の立て役者になったようなものである。そうして物理学者としての最高の栄冠が自然にこの東洋学者の頭上を飾ることになってしまった。思うにこの人もやはり少し変わった人である。多数の人の血眼になって・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・ 九月一日は帝都の防空演習で丸の内などは仮想敵軍の空襲の焦点となったことと思われる。演習だからよいようなものの、これがほんとうであったらなかなかの難儀である。しかし、もしも丸の内全部が地下百尺の七層街になっていたとしたら、また敵にねらわ・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・現代の新聞のジャーナリズムは幾多の猫又を製造しまた帝都の真中に鬼を躍らせる。新聞の醸成したセンセーショナルな事件は珍しくもない。例えば三原山の火口に人を呼ぶ死神などもみんな新聞の反古の中から生れたものであることは周知のことである。 第三・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・ 一九〇九年の夏帝都セントピータースバーグを見物した時には大学の理科の先生たちはたいてい休暇でどこかへ旅行していて留守であった。気象台の測器検定室の一隅には聖母像を祭ってあって、それにあかあかとお燈明が上がっていた。イサーク寺では僧正の・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・その代りに現れる夏の夕べの涼風は実に帝都随一の名物であると思われるのに、それを自慢する江戸子は少ないようである。東京で夕凪の起る日は大抵異常な天候の場合で、その意味で例外である。高知や広島で夕風が例外であると同様である。 どうして高知や・・・ 寺田寅彦 「夕凪と夕風」
・・・実に帝都第一の眺めなり。懸茶屋には絹被の芋慈姑の串団子を陳ね栄螺の壼焼などをも鬻ぐ。百眼売つけ髭売蝶売花簪売風船売などあるいは屋台を据ゑあるいは立ちながらに売る。花見の客の雑沓狼藉は筆にも記しがたし。明治三十三年四月十五日の日曜日に向嶋にて・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・新宿の帝都座で、モデルの女を雇い大きな額ぶちの後に立ったり臥たりさせ、予め別の女が西洋名画の筆者と画題とを書いたものを看客に見せた後幕を明けるのだという話であった。しかしわたくしが事実目撃したのは去年になってからであった。 戦争前からわ・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・そして十年余も帝都の土を踏まなかった。*1「世代から世代へ、いく世代も。」*2「少くともラテン語は読まなければいけない。」*3「哲学者は煙草を吸わざるべからず。」・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・ 今年の春は、十年余も足帝都を踏まなかった余が、思いがけなくも或用事のために、東京に出るようになった、着くや否や東圃君の宅に投じた。君と余とは中学時代以来の親友である、殊に今度は同じ悲を抱きながら、久し振りにて相見たのである、単にいつも・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
出典:青空文庫