後の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・幸助五六歳のころ妻の百合が里帰りして貰いきしその時粘りつけしまま十年余の月日経ち今は薄墨塗りしようなり、今宵は風なく波音聞こえず。家を繞りてさらさらと私語くごとき物音を翁は耳そばだてて聴きぬ。こは霙の音なり。源叔父はしばしこのさびしき音を聞・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 二十九日、市中を散歩するにわずか二年余見ざりしうちに、著しく家列びもよく道路も美しくなり、大町末広町なんどおさおさ東京にも劣るべからず。公園のみは寒気強きところなれば樹木の勢いもよからで、山水の眺めはありながら何となく飽かぬ心地すれど・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・それから遂に大自在力を得て、凡そ二百年余も生きた後、応永七年足利義持の時に死したということだ。これが飯綱の法のはじまりで、それからその子盛縄も同じく法を得て奇験を現わし、飯綱の千日家というものは、この父子より成立ち、飯綱権現の別当ともいうべ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・けれども、伯耆国の淀江村というところに住んでいる一老翁が、自分の庭の池に子供の時分から一匹の山椒魚を飼って置いた、それが六十年余も経って、いまでは立派に一丈以上の大山椒魚になって、時々水面に頭を出すが、その頭の幅だけでも大変なもので、幅三尺・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・毛氈のような草原に二百年もたった柏の木や、百年余の栗の木がぽつぽつ並んで、その間をうねった小道が通っています。地所の片すみに地中から空気を吹き出したり吸い込んだりする井戸があって、そこでその理屈を説明して聞かせました。低気圧が来る時には噴出・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・そして十年余も帝都の土を踏まなかった。*1「世代から世代へ、いく世代も。」*2「少くともラテン語は読まなければいけない。」*3「哲学者は煙草を吸わざるべからず。」・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・ 今年の春は、十年余も足帝都を踏まなかった余が、思いがけなくも或用事のために、東京に出るようになった、着くや否や東圃君の宅に投じた。君と余とは中学時代以来の親友である、殊に今度は同じ悲を抱きながら、久し振りにて相見たのである、単にいつも・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
だいぶ古いことですが、イギリスの『タイムズ』という一流新聞の文芸附録に『乞食から国王まで』という本の紹介がのっていました。著者は四〇歳を越した一人の看護婦でした。二〇年余の看護婦としての経験と彼女の優秀な資格は、ロンドン市・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・そして、現在一年余の結婚生活の経験に於て、其は仮令非常に短時間ではあっても、最初の自分の考えは、全然間違って居たものではない事を認めて来た。 人は、自分の裡に未だ顕われずに潜む多くの力の総てを出し切る機会を持たなければ、其等力の実値を体・・・ 宮本百合子 「黄銅時代の為」
出典:青空文庫