・・・ 梅雨期のせいか、その時はしとしとと皮に潤湿を帯びていたのに、年数も経ったり、今は皺目がえみ割れて乾燥いで、さながら乾物にして保存されたと思うまで、色合、恰好、そのままの大革鞄を、下にも置かず、やっぱり色の褪せた鼠の半外套の袖に引着けた・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・屋の棟を、うしろ下りに、山の中腹と思う位置に、一朶の黒雲の舞下ったようなのが、年数を知らない椎の古木の梢である。大昔から、その根に椎の樹婆叉というのが居て、事々に異霊妖変を顕わす。徒然な時はいつも糸車を廻わしているのだそうである。もともと私・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・「お父さんが、田舎から、持っていらしたのだ。」と、太郎さんが教えました。「山へいくとたくさん咲いているのだろうね。田舎へいってみたいもんだな。」「年数の古いものほど、花がたくさん咲くのだそうだ。」「うちのは、いくつついている・・・ 小川未明 「黒いちょうとお母さん」
・・・しかし明治八乙亥とあればまず八年に間違いはないのである。年数と干支が全部合理的につじつまを合わせて、念入りに誤植されるという偶然の確率はまず事実上零に近いからである。 それだから年号と年数と干支とを併記して或る特定の年を確実不動に指定す・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・いわゆる颱風なるものが三十年五十年、すなわち日本家屋の保存期限と同じ程度の年数をへだてて襲来するのだったら結果は同様であろう。 夜というものが二十四時間ごとに繰返されるからよいが、約五十年に一度、しかも不定期に突然に夜が廻り合せてくるの・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
余は子規の描いた画をたった一枚持っている。亡友の記念だと思って長い間それを袋の中に入れてしまっておいた。年数の経つに伴れて、ある時はまるで袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かった。近頃ふと思い出して、ああしておいては転宅の際などにどこへ・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・明治の文学が、どんな短い年数の間に幾多の変遷を経、外国文学の影響を受けて居るかがわかる。その時代の作家と今日の作家との違いは、只年代の差違のみではない。生れ更らなければなりそうもない考え方、感じ方、見かたの違いがある。例えば、紅葉が今日まで・・・ 宮本百合子 「無題(五)」
・・・唯この家なんぞは建ててから余り年数を経たものではないらしいのに、何となく古い、時代のある家のように思われる。それでこんな家に住んでいたら、気が落ち付くだろうというような心持がした。 表側は、玄関から次の間を経て、右に突き当たる西の詰が一・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・同じ丈をのばすのに、二倍三倍の年数がかかるかもしれない。しかしそれは無駄ではないのである。早くのびた樹の姿は、いかにも粗製の感じで、かっちりとした印象を与えない。また実際に早く衰える場合も多い。それに対して、同じ大きさになるのに二倍三倍の年・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫