・・・鴎外の年譜を調べてみると、鴎外はこの時、四十八歳である。すでにその二年前の明治四十年、十一月十五日に陸軍々医総監に任ぜられ、陸軍省医務局長に補せられている。その前年の明治三十九年に、功三級に叙せられ、金鵄勲章を授けられ、また勲二等に叙せられ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・大正四年に、勾当の正孫、葛原※氏が、その祖父君の遺業を、写真数葉、勾当年譜、逸話集等と共にまとめて見事な一本と為し、「葛原勾当日記」と銘題打って、ひろく世に誇示なされる迄は、わずかに琴の上手として一地方にのみ知られていただけのものでは無かっ・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・をかきはじめたのは明治三十七年で、年譜をみると、「日露戦争に際会した。当時の出版界と著作者との関係に安じられないものがあって、自費出版を思い立ったのもこの年であった」とかかれている。『戦争文学』という雑誌が発刊されたり、小波の「軍国女気質」・・・ 宮本百合子 「作家と時代意識」
・・・ 芥川さんは、大学の制服の膝をきちんと座布団の上に坐って――確にあれは制服だったが、でも、大学を一体芥川さんは何年に出られたのかと思って、今、年譜を調べて見たら、大正五年七月英文科を卒業とある。そうすると、六年と思ったのは五年の秋ででも・・・ 宮本百合子 「田端の坂」
・・・最後に一九三一年迄の年譜が附されている。極めて簡単に記されている年譜ではあるが、作家山本有三を理解する上には大切な役割を示している。 本名勇造、山本有三は一八八七年、明治二十年に、栃木町に生れた。父は宇都宮の藩士であったが、維新後裁判所・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫