・・・私にとって鎌倉といえば、海岸より寧ろ幾重にも重なって続く山々――樹木の繁った、山百合の咲く――が、思い出されるぐらい。その山々は、高くない。円みを帯びている。それにも拘らず、その峰から峰へと絶えない起伏の重なりのせいか、或は歴史的の連想によ・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・どれ一つとってみても、日本の民主化と云われている社会現実の上に、幾重にも折りたたまっている封建の野蛮と無智がおそろしく身に迫る事件ばかりだが、なかに二人のやしない子を育てる苦しさから配給の二重どりしていたのを告発され、懲役になっている中年の・・・ 宮本百合子 「再版について(『私たちの建設』)」
・・・たちまち、舞台横の開いた扉の辺に幾重にもかたまっていた若い男女がそれに向って雪崩れ、素早く腰をおちつけた者が三四人ある。 四十を越した薄色の髪の監督はあわてて手をふりながら遮った。 ――タワーリシチ! ここへ坐っちゃいけない。ここへ・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・常套、常套、而して常套と幾重にも重なった裡から、何にも染まらない「そのもの」を見出しとうございます。けれども、C先生、私がよく申上た通り私は自分で、渾一の如何に偉大であり、又如何に至難な事であるかを知って居ります。知って居る事は愛でございま・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 悲しみは、世の中のすべての人をいつくしむ心をお与え下さいます。 幾重にも幾重にも被われた真の物の尊さを教えて下さいます。 どなたの御目にも私は、豆蔵みたいにうつって居る事でござんしょうねえ。 おもてはそれでも決してかまいま・・・ 宮本百合子 「たより」
・・・ まあ、まあ落着きなさい。え、落着きなさい。と囁くもの――を、自分の心の中に感じたのである。それは、あの守霊でもなかったし、神様でもなかった。まして、感情が戯れに見せる空想でもなかった。 幾重にも幾重にも厚く重り、被い包んでいた・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ お繁婆さんが永い事かかってカステラを喰べ幾重にも礼をのべて帰った後から、元、小学校の教師か何かして居た人の後家が前掛をかけて前の方に半身を折りかぶせた様にして来た。何でもない、只町に新らしい芝居のかかった事とこの暮に除隊になる、自分の・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ひろ子は、見ている画面が益々幾重にもなって、きのう見て来た代々木の事務所の入口に、かかげられていた横看板の字が、そこに浮んで来るように思えた。すこしくずした太い字で、日本共産党とかかれている。それは、いかにも大きい板をこしらえたどこかの土木・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ 曇天の新緑の幾重にも深い 色の変化ある繁みを眺めていると細かい雨が 空から降って来るより先 その繁みの間から霧のように ふいて来そうに感じられた。 それ程 空気は重くて しめっぽかった。・・・ 宮本百合子 「窓からの風景(六月――)」
・・・その山が幾重にもうちかさなった彼方に雪をいただいた嶺があって、ちょうど那須野ケ原から日光連山を眺める、あの眺望の数千倍大きく、強いものだといえましょう。だが温泉へは入らず。こっちの温泉はドイツのバーデン・バーデンや何かと同じで、冷鉱泉をのん・・・ 宮本百合子 「ロシアの旅より」
出典:青空文庫