・・・斉広には一方にそう云う弱みがあった。それからまた一方には体面上卑吝の名を取りたくないと云う心もちがある。しかも、彼にとって金無垢の煙管そのものは、決して得難い品ではない。――この二つの動機が一つになった時、彼の手は自ら、その煙管を、河内山の・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・が、K君はS君のように容易に弱みを見せません。実際また弱みを見せない修業を積もうともしているらしいのです。 K君、S君、M子さん親子、――僕のつき合っているのはこれだけです。もっともつき合いと言ったにしろ、ただ一しょに散歩したり話したり・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・それはまた何ごとにも容易に弱みを見せまいとするふだんの彼の態度にも合していることは確かだった。褐色の口髭の短い彼は一杯の麦酒に酔った時さえ、テエブルの上に頬杖をつき、時々A中尉にこう言ったりしていた。「どうだ、おれたちも鼠狩をしては?」・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・それどころか、その人の弱みにつけ込んだような感想をほしいままにした個所も多い。合駒を持たぬ相手にピンピンと王手王手を掛けるようなこともした。いたわる積りがかえってその人の弱みをさらけ出した結果ともなってしまったのだ。その人は字は読めぬ人だ、・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ところが、いつもそんな嫁のわがままを通すはずのないお定が、なんの弱みがあってか強い反対もしなかった。 赤児はお光と名づけ、もう乳ばなれするころだったゆえ、乳母の心配もいらず、自分の手一つで育てて四つになった夏、ちょうど江戸の黒船さわぎの・・・ 織田作之助 「螢」
・・・そのときおれは、弱みを見せずにこう言ってやる。僕で幾人目だ。 くろんぼは現れなかった。テントから離れ、少年は着物の袖でせまい額の汗を拭って、のろのろと学校へ引き返した。熱が出たのです。肺がわるいそうです。袴に編みあげの靴をはいている男の・・・ 太宰治 「逆行」
・・・まるで教養人の弱みであり、欠点でもあるように思われる。 しかし、この頃、教養人は、強くならなければならない、と私は思うようになった。いわゆる車夫馬丁にたいしても、「馬鹿野郎」と、言えるくらいに、私はなりたいと思っている。できるかどうか。・・・ 太宰治 「豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説」
・・・協力ということができないだけが彼らの弱みではないかと思われる。協同した暴力の前には知恵などはなんの役にも立たないことは人間の歴史が眼前に証明している。 犀というものがどうにも不格好なものである。しかしどうしてこれが他の多くの動物よりもよ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 今日、私自身が自らの裡に自覚する強みも、弱みも、何処か遠い、見えない彼方に下された胚種の、一つの発芽であると、何うして云えないだろう。 此の一家族を貫く何等かの遺伝の上に、私は此も亦必然的な「日本」と云う祖国の気分を負って居る。・・・ 宮本百合子 「無題」
・・・こういう弱みのある長十郎ではあるが、死を怖れる念は微塵もない。それだからどうぞ殿様に殉死を許して戴こうという願望は、何物の障礙をもこうむらずにこの男の意志の全幅を領していたのである。 しばらくして長十郎は両手で持っている殿様の足に力がは・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫