・・・さて形ばかりの盃事をすませると、まず、当座の用にと云って、塔の奥から出して来てくれたのが綾を十疋に絹を十疋でございます。――この真似ばかりは、いくら貴方にもちとむずかしいかも存じませんな。」 青侍は、にやにや笑うばかりで、返事をしない。・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・僕はこの病院へはいった当座も河童の国のことを想いつづけました。医者のチャックはどうしているでしょう? 哲学者のマッグも相変わらず七色の色硝子のランタアンの下に何か考えているかもしれません。ことに僕の親友だった嘴の腐った学生のラップは、――あ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・「この病院へ来た当座は、誰が何と云った所が、決して支那服を脱がなかったもんだ。おまけにその犬が側にいないと、金さん金さんと喚き立てるじゃないか? 考えれば牧野も可哀そうな男さ。けいれんを妾にしたと云っても、帝国軍人の片破れたるものが、戦・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・現に、小母さんが覚えた、……ここへ一昨年越して来た当座、――夏の、しらしらあけの事だ。――あの土塀の処に人だかりがあって、がやがや騒ぐので行ってみた。若い男が倒れていてな、……川向うの新地帰りで、――小母さんもちょっと見知っている、ちとたり・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・しかしまあ何でございますね、前触が皆勝つことばかりでそれが事実なんですから結構で、私などもその話を聞きました当座は、もうもう貴方。」 と黙って聞いていた判事に強請るがごとく、「お可煩くはいらっしゃいませんか、」「悉しく聞こうよ。・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・されども渠等は未だ風も荒まず、波も暴れざる当座に慰められて、坐臥行住思い思いに、雲を観るもあり、水を眺むるもあり、遐を望むもありて、その心には各々無限の憂を懐きつつ、てきそくして面をぞ見合せたる。 まさにこの時、衝と舳の方に顕れたる船長・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・国府津へ落ちついた当座は、面白半分一気に読みつづけて、そこまでは進んだが、僕の気が浮かれ出してからは、ほとんど全くこれを忘れていたありさまであったのだ。この書の主人公レオナドダヴィンチの独身生活が今さらのごとく懐かしくなった。 仰向けに・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・来て見れば予期以上にいよいよ幻滅を感じて、案外与しやすい独活の大木だとも思い、あるいは箍の弛んだ桶、穴の明いた風船玉のような民族だと愛想を尽かしてしまうかも解らない。当座の中こそ訪問や見物に忙がしく、夙昔の志望たる日露の問題に気焔を吐きもし・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ その当座は犬の事ばかりに屈托して、得意の人生論や下層研究も余り口に出なかった。あたかも私の友人の家で純粋セッター種の仔が生れたので、或る時セッター種の深い長い艶々した天鵞絨よりも美くしい毛並と、性質が怜悧で敏捷こく、勇気に富みながら平・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・子供たちは、その当座は気をつけてまりを大事にしました。 しかし、いつのまにか、また乱暴にまりを取り扱ったのであります。なんとされてもまりは、だまっていました。 こうしているうちに、まりは、もう年をとってしまいました。はね返る元気もな・・・ 小川未明 「あるまりの一生」
出典:青空文庫