・・・ と紺の鯉口に、おなじ幅広の前掛けした、痩せた、色のやや青黒い、陰気だが律儀らしい、まだ三十六七ぐらいな、五分刈りの男が丁寧に襖際に畏まった。「どういたして、……まことに御馳走様。……番頭さんですか。」「いえ、当家の料理人にござ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・寺田は京都生れで、中学校も京都A中、高等学校も三高、京都帝大の史学科を出ると母校のA中の歴史の教師になったという男にあり勝ちな、小心な律義者で、病毒に感染することを惧れたのと遊興費が惜しくて、宮川町へも祇園へも行ったことがないというくらいだ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ けれども律儀な老訓導は無口な私を聴き上手だと見たのか、なおポソポソと話を続けて、「……ここだけの話ですが、恥を申せばかくいう私も闇屋の真似事をやろうと思ったんでがして、京都の堀川で金巾……宝籤の副賞に呉れるあの金巾でがすよ、あれを・・・ 織田作之助 「世相」
・・・と達筆だが、律義そうなその楷書の字が薄給で七人の家族を養っているというこの老訓導の日々の営みを、ふと覗かせているようだった。口髭の先に水洟が光って、埃も溜っているのは、寒空の十町を歩いて来たせい許りではなかろう。「先日聴いた話ですが」と・・・ 織田作之助 「世相」
・・・その正直さはふと律儀めいていた。一見武田さんに似合わぬ律儀さであった。が、これが今日の武田さんの姿としてそのまま受け取って、何の不思議もないと私は見ていた。不死身の麟太郎だが、しかしあくまで都会人で、寂しがりやで、感傷的なまでに正義家で、リ・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・私は何故だか気の毒で、暫らく父御さんの顔を見られなかったが、やがて見ると、律義そうなその顔に猛烈な獅子鼻がさびしくのっかっており、そしてまたそれとそっくりの鼻がその人の顔にも野暮ったくくっついているのが、笑いたいほどおかしく分って、私は何と・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・それが律儀者めいた。柳吉はいささか吃りで、物をいうとき上を向いてちょっと口をもぐもぐさせる、その恰好がかねがね蝶子には思慮あり気に見えていた。 蝶子は柳吉をしっかりした頼もしい男だと思い、そのように言い触らしたが、そのため、その仲は彼女・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 豹吉があれほど時間を気にしてハナヤへやって来たのは、実はその雪子が毎日十時になると、必ずハナヤへ現れるからであった。 しかも十時前に来ることはあっても、十時に遅れることはない。 律義な女事務員のように時間は正確であった。 ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・父親は律義な職人肌で、酒も飲まず、口数も尠なかったが、真面目一方の男だけに、そんな新太郎への小言はきびしかった。しかし家附きの娘の母親がかばうと、この父も養子の弱身があってか存外脆かった。母親は派手好きで、情に脆く、行き当りばったりの愛情で・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・ 彼は、勉強家でもない。律儀な、几帳面な男でもない。克明に見えるが、それは、彼の小心さから来ている。彼は、いろ/\なものをこしらえるのが好きである。舟をこしらえたり、家をこしらえたり、トンボや、飛行機や、いたちや、雉を捕るわなをこしらえ・・・ 黒島伝治 「自画像」
出典:青空文庫