・・・けれども一足出すが早いか、熱鉄か何かを踏んだようにたちまちまた後ろへ飛びすさった。夫は破れたズボンの下に毛だらけの馬の脚を露している。薄明りの中にも毛色の見える栗毛の馬の脚を露している。「あなた!」 常子はこの馬の脚に名状の出来ぬ嫌・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・最後に後ろの牛小屋へ行けば、ぜすす様の産湯のために、飼桶に水が湛えられている。役人は互に頷き合いながら、孫七夫婦に縄をかけた。おぎんも同時に括り上げられた。しかし彼等は三人とも、全然悪びれる気色はなかった。霊魂の助かりのためならば、いかなる・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・そして彼の後ろから来る小作人たちのささやきのような会話に耳を傾けた。「夏作があんなだに、秋作がこれじゃ困ったもんだ」「不作つづきだからやりきれないよ全く」「そうだ」 ぼそぼそとしたひとりごとのような声だったけれども、それは明・・・ 有島武郎 「親子」
・・・仁右衛門は木の葉のように震えながらずかずかと近づくと、突然後ろからその右の耳のあたりを殴りつけた。不意を喰って倒れんばかりによろけた佐藤は、跡も見ずに耳を押えながら、猛獣の遠吠を聞いた兎のように、前に行く二、三人の方に一目散にかけ出してその・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・と犬に向かっていって、後ろも見ずに引き返した。 レリヤは皆と別荘を離れて停車場にいって、初めてクサカに暇乞をしなかったことを思い出した。 クサカは別荘の人々の後について停車場まで行って、ぐっしょり沾れて別荘の処に帰って来た。その時ク・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・いやもうから意気地がござりません代わりにゃ、けっして後ろ暗いことはいたしません。ただいまとても別にぶちょうほうのあったわけではござりませんが、股引きが破れまして、膝から下が露出しでござりますので、見苦しいと、こんなにおっしゃります、へい、御・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・白地の手ぬぐいをかぶった後ろ姿、一村の問題に登るだけがものはある。満蔵なんか眼中にないところなどはすこぶる頼もしい。省作にからかわれるのがどうやらうれしいようにも見えるけれど、さあ仕事となれば一生懸命に省作を負かそうとするなどははなはだ無邪・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・焜炉の火に煙草をすっていて、自分と等しく奈々子の後ろ姿を見送った妻は、「奈々ちゃんはね、あなた、きのうから覚えてわたい、わたいっていいますよ」「そうか、うむ」 答えた自分も妻も同じように、愛の笑いがおのずから顔に動いた。 出・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・そして、自分も、学生の後ろについて、ゆきかかりますと、学生が、話をしていました。「鶏というやつは、ばかなもんだね。仲間が殺されている下で、知らぬ顔をして、餌を食べているんだもの。」といいました。すると一人は、それを打ち消すようにして、・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・が通ったといって、珍しいものでも見るように、みんなして、後ろについていって、いろいろのことをいいはやしましたけれど、女はおしで、耳が聞こえませんから、黙って、いつものように下を向いて、のそりのそりと歩いてゆくようすが、いかにもかわいそうであ・・・ 小川未明 「牛女」
出典:青空文庫