・・・ ほかの少年らも驚いて、豊吉を怪しそうに見て、急に糸を巻くやら籠を上げるやら、こそこそと逃げていってしまった。 豊吉はあきれ返って、ぼんやり立って、少年らの駆けて行く後ろ影を見送った。『上田の豊さんが帰ったそうだ』と彼を記憶・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ 下 此二人の少女は共に東京電話交換局でから後も二三度会って多少事情を知って居る故、かの怪しい噂は信じなかったが、此頃になって、或という疑が起らなくもなかった。というのもお秀の祖母という人が余り心得の善い人でな・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・ あるいはまたあたり一面にわかに薄暗くなりだして、瞬く間に物のあいろも見えなくなり、樺の木立ちも、降り積ッたままでまた日の眼に逢わぬ雪のように、白くおぼろに霞む――と小雨が忍びやかに、怪し気に、私語するようにバラバラと降ッて通ッた。樺の・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・灰色の外套長く膝をおおい露を避くる長靴は膝に及び頭にはめりけん帽の縁広きを戴きぬ、顔の色今日はわけて蒼白く目は異しく光りて昨夜の眠り足らぬがごとし。 門を出ずる時、牛乳屋の童にあいぬ。かれは童の手より罎を受け取りて立ちながら飲み、半ば残・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ 第六十八段、大根が兵士に化ける話は少し怪しいが、次の六十九段と合せて読んで見ると寓意を主として書いたものとも思われる。 迷信とは少し事変るがいわゆるゴシップの人を迷わす例がある。猫又のゴシップの力で犬が猫又になる話や、ゴシップから・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・軍人か土方の親方ならばそれでも差支はなかろうが、いやしくも美と調和を口にする画家文士にして、かくの如き粗暴なる生活をなしつつ、毫も己れの芸術的良心に恥る事なきは、実にや怪しともまた怪しき限りである。さればこれらの心なき芸術家によりて新に興さ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・といい放って、つかつかと戸口にかかる幕を半ば掲げたが、やがてするりと踵を回らして、女の前に、白き手を執りて、発熱かと怪しまるるほどのあつき唇を、冷やかに柔らかき甲の上につけた。暁の露しげき百合の花弁をひたふるに吸える心地である。ランスロット・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・という論文を読んだとき、過去のプロレタリア文学運動に対する同氏の評価に私自身の理解と相異したものがあるのを感じたことがあったが、今日「囚われた大地」を通読して、同じ論文で森山氏がその作品を評していた言葉を再び思い起した。「農村のそれぞれの階・・・ 宮本百合子 「作家への課題」
・・・の表現とこの永瀬さんのこの詩の言葉とは何と相異しながら、女性としての感覚においては同じ本質をもっていることだろう。 永瀬さんは、女の歴史、日本の女の成長の酸苦を「麦死なず」のなかにうたっている。私らにとっては樹木が自然の季節・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・を書いておられたが、私は坪内先生の一生をあるべきとこにあって完璧たらしめた先生の聰明、努力、達見、現実性を学ぶとすれば、それは私の時代のものにとっては必然的に白鳥氏の言葉にふくまれているものとは全く相異した形をとって、現実にはあらわれて来る・・・ 宮本百合子 「坪内先生について」
出典:青空文庫