・・・「余は去りて榊病院に河野氏を訪ひぬ。恰も Miss Read、孝夫、信子氏あり。三人の帰後余は夫人の為に手紙の代筆などし少しく語りたる後辞し帰りぬ。 神よ、余は此の筆にするだに戦きに堪へざる事あり。余は余の謬れるを知る。余は暫く・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・けれども、その中間の重心に、自意識という介在物があって、人間の外部と内部とを引裂いているかの如き働きをなしつつ、恰も人間の活動をしてそれが全く偶然的に、突発的に起って来るかの如き観を呈せしめている近代人というものは、まことに通俗小説内におけ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・を発表して「恰も鬼ケ島の宝物を満載して帰る桃太郎の船」のように世間から歓迎された二年後のことであった。三つ年下だった二葉亭はその頃のしきたりで当時新しい文学の選手であった「春のやおぼろ」と合著という形で「浮雲」の上巻を出版した。ところが、二・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・p.279 笞のようにビザンティンの十字架を手にした極悪な狂信的な中世紀の僧侶、恰もそんな風に彼は政治家、宗教的狂信者としてわれわれに向って来るのである。p.279○口角泡をとばし、手をふるわせて彼はわれわれの世界に悪魔祓いをするの・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・その円形時計は、針が止ったまま、恰もその壁の上についている。そして、こんど行ってみると、その長廊下へ出るところに、木箱がどっさりつみ重ねられていた。深い長めな四角い箱で、積んである外見に、そのなかにつめられている本の重量が感じられた。今年の・・・ 宮本百合子 「図書館」
・・・予はこれを明言すると同時に、予が恰もこの時に逢うて、此の如き人に交ることを得た幸福を喜ぶことを明言することを辞せない。また前に挙げた紅葉等の諸家と俳諧での子規との如きは、才の長短こそあれ、その作の中には予の敬服する所のものがある。次にここに・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・獄に下った時は懿宗の咸通九年で、玄機は恰も二十六歳になっていた。 玄機が長安人士の間に知られていたのは、独り美人として知られていたのみではない。この女は詩を善くした。詩が唐の代に最も隆盛であったことは言を待たない。隴西の李白、襄陽の杜甫・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・軽井沢停車場の前にて馬車はつ。恰も鈴鐸鳴るおりなりしが、余りの苦しさに直には乗り遷らず。油屋という家に入りて憩う。信州の鯉はじめて膳に上る、果して何の祥にや。二時間眠りて、頭やや軽き心地す。次の汽車に乗ればさきに上野よりの車にて室を同うせし・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・ もしもコンミニストが、此の文学の、恰も科学の持つがごとき冷然たる素質を排撃するとしたならば、彼らの総帥の曾て活用したる唯物論と雖も、その活用させたる科学的態度を、その活用なし得た科学的部分に於て排撃されねばならぬであろう。・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・だが、感覚のない文学は必然に滅びるにちがいない。恰も感覚的生活がより速に滅びるように。だが感覚のみにその重心を傾けた文学は今に滅びるにちがいない。認識活動の本態は感覚ではないからだ。だが、認識活動の触発する質料は感覚である。感覚の消滅したが・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫