・・・それは恐るべき悪文だった。マストに風が唸ったり、ハッチへ浪が打ちこんだりしても、その浪なり風なりは少しも文字の上へ浮ばなかった。彼は生徒に訳読をさせながら、彼自身先に退屈し出した。こう云う時ほど生徒を相手に、思想問題とか時事問題とかを弁じた・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・私は自分が悪文家であるからでもあろうが、夙くから文章を軽蔑する極端なる非文章論を主張し、かつて紅葉から文壇の野獣視されて、君の文章論は狼の遠吠だと罵られた事があるくらい、文章上のアナーキストであったから、文章論では二葉亭とも度々衝突して、内・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・口下手の、あるいは悪文の、どもる奴には、思想が無いという事になっていたのではないでしょうか。だからあなた達は、なんでもはっきり言い切って、そうして少しも言い残して居りません。子供っぽい、わかり切った事でも、得意になって言っています。それがま・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・唖々子の眼より見て当時の文壇第一の悪文家は国木田独歩であった。 その年雪が降り出した或日の晩方から電車の運転手が同盟罷工を企てた事があった。尤わたしは終日外へ出なかったのでその事を知らなかったが、築地の路地裏にそろそろ芸者の車の出入しか・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・バルザックが卑俗であり、悪文であるということを同時代人からひどく云われたし、現代でも其は其として認めざるを得まいが、そのようになった矛盾をつきつめて行ったので、例により扱いかたは生活的であり、私は大して不満ではない心持です。これでそういう種・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ファブルの伝記者は、アナトール・フランスがファブルの文章は悪文であると云ったということをおこっているが、今日の第三者は、フランスはやはり文学の正道から見ての真実を云ったと思わざるを得ないのである。 科学と文学の交流・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・そうすると松波さんが、源氏物語は悪文だといわれました。随分皮肉なこともいうお爺さんでございましたから、この詞を余り正直に聞いて、源氏物語の文章を謗られたのだと解すべきではございますまい。しかし源氏物語の文章は、詞の新古は別としても、とにかく・・・ 森鴎外 「『新訳源氏物語』初版の序」
出典:青空文庫