・・・なにしろ俺たちは、一人のだいじな友人を犠牲に供して飯を食わねばならぬ悲境にあるんだ。ドモ又は俺たち五人の仲間から消えてなくなるのだ。ドモ又の弟はその細君のともちゃんと旅の空に出かけることになるだろう。俺たちのように良心をもって真剣に働く人間・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・その泣くことの原因は普通自分の利害と直接に結びついているのであるから、最大緊張の弛緩から来る涙の中から、もうすぐに現在の悲境に処する対策の分別が頭をもたげて来るから、せっかく出かけた涙とそれに伴なう快感とはすぐに牽制されてしまわなければなら・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そのために能力の弱い婦人が、社会的に悲境に陥りがちなことを諭吉は憐んで、女子に対する経済的の保護ということを言っているのである。福沢諭吉が女子の経済的自立をとりあげず、戸主との分配権をとりあげたのは、全く、資本主義国日本としての、ブルジョア・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・この「不覊なる想いと繋がれたる意志」との二様生活こそダンテの真髄である。ヴェロナにありて、森の奥深くさまよいては栄ある天堂を思い、街を歩みては「あれこそ地獄より帰りし人よ」と指さされる。この悲境にあって詩人は深厳なる人世の批評をなしつつ断乎・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫