・・・麦の芽達は、無惨に踏みちぎられて、悲鳴をあげてるではないか。善ニョムさんは、天秤棒をふりあげて、涙声で怒鳴った。「ど、どちきしょめ!」 断髪の娘は、不意に、天秤棒でお臀を殴られると、もろくそこへ、ヘタってしまった。「いたいッ」・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・で聞けば、硫黄でえぶし立てられた獣物の、恐る恐る穴の口元へ首を出した処をば、清五郎が待構えて一打ちに打下す鳶口、それが紛れ当りに運好くも、狐の眉間へと、ぐっさり突刺って、奴さん、ころりと文句も云わず、悲鳴と共にくたばって仕舞ったとの事。大弓・・・ 永井荷風 「狐」
・・・「……あれえッという女の悲鳴。こなたは三本木の松五郎、賭場の帰りの一杯機嫌、真暗な松並木をぶらぶらとやって参ります……」 話が興味の中心に近いて来ると、いつでも爺さんは突然調子を変え、思いもかけない無用なチャリを入れてそれをば聞手の・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・、自転車屋には恩給年限がないのか知らんとちょっと不審を起してみる、思うにその年限は疾ッくの昔に来ていて今まで物置の隅に閑居静養を専らにした奴に違ない、計らざりき東洋の孤客に引きずり出され奔命に堪ずして悲鳴を上るに至っては自転車の末路また憐む・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・「――到頭最後の悲鳴をあげたね」 主任が、ジロジロ私の上気し、輝いている顔を偸見ながら云った。「…………」 自分は黙ったまま、飽かずその記事をよむのであった。 六月二十八日。自分は八十二日間の検束から自由をとり戻した・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・こういう方法で大衆が納得するだろうかと悲鳴をあげても始らぬ。」このロマン派の青年論客が、曩日文学の芸術性を擁護して芸術至上の論策を行っていたことと思いあわせれば、純文学に於ける自我の喪失が如何に急速なテムポでその精神を文学以外のより力強い何・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 助けてくれ インドの子供が悲鳴をあげたのは当り前だ。骸骨だ、そこへ現れたのは。 観客席はざわめく。 ――ラグナート! ラグナート! 泣かんばかりに腰をぬかしたウペシュを照してパッと電燈がついた。骸骨も消えた。 ラグナー・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・安寿の額に十文字に当てる。安寿の悲鳴が一座の沈黙を破って響き渡る。三郎は安寿を衝き放して、膝の下の厨子王を引き起し、その額にも火を十文字に当てる。新たに響く厨子王の泣き声が、ややかすかになった姉の声に交じる。三郎は火を棄てて、初め二人をこの・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・そうして、人馬の悲鳴が高く一声発せられると、河原の上では、圧し重なった人と馬と板片との塊りが、沈黙したまま動かなかった。が、眼の大きな蠅は、今や完全に休まったその羽根に力を籠めて、ただひとり、悠々と青空の中を飛んでいった。・・・ 横光利一 「蠅」
・・・苦痛のために烈しく悩んでいる女が、感覚を失って悲鳴をあげているとしか見えない。恐ろしい現実そのものなのである。彼女は舞台の上で全然裸になっているのだ。 ヘルマン・バアルは考え込んだ。デュウゼの芸は全く謎である。同じ椿姫をやってもベルナア・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫