・・・彼は憤激ではち切れそうになった。「私はあなたをそんなかただとは思っていませんでしたよ」 突然、父は心の底から本当の怒りを催したらしかった。「お前は親に対してそんな口をきいていいと思っとるのか」「どこが悪いのです」「お前の・・・ 有島武郎 「親子」
・・・脾骨の見えるような馬を屠殺するために、連れて行くのを往来などで遊んでいて見た時、飼主の無情より捨てられて、宿無しとなった毛の汚れた犬が、犬殺しに捕えられた時、子供等が、これ等の冷血漢に注ぐ憎悪の瞳と、憤激の罵声こそ、人間の閃きでなくてなんで・・・ 小川未明 「天を怖れよ」
・・・この運動に参加したものは年少気鋭の学生であり新思想家であるのを見ても、奴隷化した宗教に対する反感と、いわゆる人道主義と愛というものに対する冒険と憤激とであると見るのが至当であろう。然も現下の支那に於ける思想上の混乱に際し、世界キリスト教青年・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・ 負傷者は、肉体にむすびつけられた不自由と苦痛にそれほど強い憤激を持っていなかった。「俺ら、もう十三寝たら浦潮へ出て行けるんだ。」大西は、それを云う時、嬉しさをかくすことが出来なかった。「そうかね。」 栗本は、ほゝえんで見せ・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・この作者は、未だほとんど無名にして、創作余談とでもいったものどころか、創作それ自体をさえ見失いかけ、追いかけ、思案し、背中むけ、あるいは起き直り、読書、たちまち憤激、巷を彷徨、歩きながら詩一篇などの、どうにもお話にならぬ甘ったれた文学書生の・・・ 太宰治 「創作余談」
・・・僕は、純粋の人間、真正の人間で在りさえすれば、―― などとあらぬ覚悟を固めたりしはじめて、全身、異様な憤激にがくがく震え、寒い廊下を大胯で行きつ戻りつ、何か自分が、いま、ひどい屈辱を受けているような、世界のひとみんなからあざ笑われている・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ 主人は、憤激しているようなひどく興奮のていで、矢庭に座敷の畳をあげ、それから床板を起し、床下からウィスキイの角瓶を一本とり出した。「万歳!」と僕は言って、拍手した。 そうして、僕たちはその座敷にあがり込んで乾杯した。「先生、相・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・断崖に面した時のような絶望が。憤激があった。押えても押えてもやり切れぬ憤激が。惨めさがあった。泣いても泣いても泣き切れぬ惨めさが。恩愛も、血縁も、人格的なつながりもない……から死命を制せられている自分!」うたい上げられた調子はあるが沈潜して・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・の作者が、どのような内心の憤激と自棄にかられてあの作をかいたか分らないけれども、もし、真面目にそれらの社会的腐敗を作家として問題にするのであれば、全く別のやりかたでされなければならなかったであろうと思う。ブルジョア文壇に悪行があるとすればそ・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ 下手な、曲ったような字で、心が唸りを立てるほど漲って来る当もない憤激や、自分にほか分らない悲歎を書きつけながら、彼女は自分が世界中に「唯一人悩める者」のような心持がしていたのである。 かように、いつの間にか彼女の心のどこかで育って・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫