・・・ ドストエフスキイ ドストエフスキイの小説はあらゆる戯画に充ち満ちている。尤もその又戯画の大半は悪魔をも憂鬱にするに違いない。 フロオベル フロオベルのわたしに教えたものは美しい退屈もあると言うことで・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・少くとも人々は笑った。戯画を見るように笑った。私は笑えなかったが、日本の春画がつねにユーモラスな筆致で描かれている理由を納得したと思った。「リアリズムの極致なユーモアだよ」とその当時私は友人の顔を見るたび言っていたが、無論お定の事件から・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 鳥羽僧正の鳥獣戯画なども当時のスポーツやいろいろの享楽生活のカリカチュアと思って見ればこの僧正はやはり一種のカメラをさげて歩いた一人であったかもしれない。この僧正にアメリカ野球選手との試合を記録させなかったのは残念である。 新東京・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・ 私は鳥羽僧正の戯画を見る時に、そこに描かれた動物の群から人間の痴愚をさしつけれれる。北斎漫画を見る時に封建時代の社会の不思議な心理を教えられる。ホガースやドーミエーからは享楽の影に潜む恐ろしさを味わわされる。ハインリヒ・クライの怪奇画・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・ている武器の機械的な強力さや精緻さは子供だって知っているのだから、女の子がなまじそんな木剣を背負って行進したりするところには、ちかごろ流行の詩吟や黒紋付姿同様、何か国民が本気でそれへ当っている事象への戯画化が印象づけられる。 娘たちはき・・・ 宮本百合子 「女の行進」
・・・一九三三年に石坂洋次郎が、左翼への戯画としてかいた「麦死なず」と、一九五〇年に三好十郎が書いた「ストリップ・ショウ・殺意」とを見くらべれば、現代文学の傾斜が明瞭にわかる。そして、この「殺意」と「三木清における人間の研究」「たぬき退治」とは、・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・て生きることでその中から観念の戯画でない人間くさい小説を生み出そうとした。しかしながらこの創作の態度も、現実を観てゆくよりどころを明確にし得ない時代の本質を骨格のうちに分けもっているために作品の実際に当って風俗小説以上に作品の世界を高めるこ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 伊藤氏が健全な人間的作家としての野望を抱く現代青年の心的事実の代弁者であるならば、小樽の街上を袂を翼に舞ったり下ったりする戯画化された小林の粗末な描写で、歴史的重要さが求めているだけの批判をなしているとみずから承認されはしないであろう・・・ 宮本百合子 「数言の補足」
・・・浅草紙ににじむ墨で描いた戯画のような誇張がある。そして、そのことのなかに彼女の青春の現実の単調さが訴えられている。 宮本百合子 「想像力」
出典:青空文庫