・・・ 本多子爵はどこからか、大きな絹の手巾を出して、つつましく鼻をかみながら、もう暮色を帯び出した陳列室の中を見廻して、静にまた話を続け始めた。「もっともこの問題はいずれにせよ、とにかく珍竹林主人から聞いた話だけは、三浦の身にとって三考・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・彼女は耳環を震わせながら、テエブルのかげになった膝の上に手巾を結んだり解いたりしていた。「じゃこれもつまらないか?」 譚は後にいた鴇婦の手から小さい紙包みを一つ受け取り、得々とそれをひろげだした。その又紙の中には煎餅位大きい、チョコ・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・彼は思わず首を縮めながら、砂埃の立つのを避けるためか、手巾に鼻を掩っていた、田口一等卒に声をかけた。「今のは二十八珊だぜ。」 田口一等卒は笑って見せた。そうして相手が気のつかないように、そっとポケットへ手巾をおさめた。それは彼が出征・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・へ「手巾」という小説を書いた時である。滝田君は僕にその小説のことを「ちょっと皮肉なものですな」といった。 それから滝田君は二三ヵ月おきに僕の家へ来るようになった。 ◇ 或年の春、僕は原稿の出来ぬことに少からず屈託し・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎君」
・・・が、特にこの夜だけは南画の山水か何かを描いた、薄い絹の手巾をまきつけていたことを覚えている。それからその手巾には「アヤメ香水」と云う香水の匂のしていたことも覚えている。 僕の母は二階の真下の八畳の座敷に横たわっていた。僕は四つ違いの僕の・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・元来咽喉を害していた私は、手巾を顔に当てる暇さえなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆息もつけない程咳きこまなければならなかった。が、小娘は私に頓着する気色も見えず、窓から外へ首をのばして、闇を吹く風に銀杏返しの鬢の毛を戦がせながら、・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・すると丹波先生はズボンの砂を手巾ではたきながら、得意そうに笑って見せて、「お前よりも出来ないか。」「そりゃ僕より出来ます。」「じゃ、文句を云う事はないじゃないか。」 豪傑はミットをはめた手で頭を掻きながら、意気地なくひっこん・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ 酒ぎらいな紳士は眉をひそめて、手巾で鼻を蔽いながら、密と再び覗くと斉しく、色が変って真蒼になった。 竹の皮散り、貧乏徳利の転った中に、小一按摩は、夫人に噛りついていたのである。 読む方は、筆者が最初に言ったある場合を、ごく内端・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・ 婆さんはまた涙含んで、「袂から出した手巾を、何とそのまあ結構な椅子に掴りながら、人込の塵埃もあろうと払いてくれましたろうではございませんか、私が、あの娘に知己になりましたのはその時でございました。」 待て、判事がお米を見たのも・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ と俊吉の瞶る目に、胸を開くと、手巾を当てた。見ると、顔の色が真蒼になるとともに、垂々と血に染まるのが、溢れて、わななく指を洩れる。 俊吉は突伏した。 血はまだ溢れる、音なき雪のように、ぼたぼたと鳴って留まぬ。 カーンと仏壇・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
出典:青空文庫