・・・ ことに日暮れ、川の上に立ちこめる水蒸気と、しだいに暗くなる夕空の薄明りとは、この大川の水をして、ほとんど、比喩を絶した、微妙な色調を帯ばしめる。自分はひとり、渡し船の舷に肘をついて、もう靄のおりかけた、薄暮の川の水面を、なんということ・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ 僕はいつも日暮れがたになると、この部屋にチャックやバッグを迎え、河童の言葉を習いました。いや、彼らばかりではありません。特別保護住民だった僕にだれも皆好奇心を持っていましたから、毎日血圧を調べてもらいに、わざわざチャックを呼び寄せるゲ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・…… ――――――――――――――――――――――――― 翌日の日曜日の日暮れである。保吉は下宿の古籐椅子の上に悠々と巻煙草へ火を移した。彼の心は近頃にない満足の情に溢れている。溢れているのは偶然ではない。第一に・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・ 通信部は、日暮れ近くなって閉じた。あのいつもの銀行員が来て月謝を取扱う小さな窓のほうでも、上原君や岩佐君やその他の卒業生諸君が、執筆の労をとってくださった。そうしてこっちも、かれこれ同じ時刻に窓を閉じた。僕たちの帰った時には、あたりが・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ このごろの朝の潮干は八時過ぎからで日暮れの出汐には赤貝の船が帰ってくる。予らは毎朝毎夕浜へ出かける。朝の潮干には蛤をとり夕浜には貝を拾う。月待草に朝露しとど湿った、浜の芝原を無邪気な子どもを相手に遊んでおれば、人生のことも思う機会がな・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・この間の日暮れなどもそうっと無花果を袂へ入れてくれた。そうそうこの前の稲刈りの時にもおれが鎌で手を切ったら、おとよさんは自分のかぶっていた手ぬぐいを惜しげもなく裂いて結わいてくれた。どうも思ってるのかもしれない。 考え出すと果てがない。・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 太陽は、そのことには気づかずに、日暮れ方まで下界を照らしていました。二 幸福の島 ある国にあった話です。人々は、長い間の版で押したような生活に疲れていました。毎日同じようなことをして、朝になるとはね起きて、働き、食い、・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・そして、日暮れに木賃宿へ帰ってきて泊まりました。彼は、ほかにいって泊まるところがなかったからです。 この木賃宿には、べつに大人の乞食らがたくさん泊まっていました。そして、彼らは、その日いくらもらってきたかなどと、たがいに話し合っていまし・・・ 小川未明 「石をのせた車」
・・・ すると、その年の夏の日暮れ方のことであります。どこからとなく、たくさんのこうもりが飛んできて、毎晩のようにりんご畑の上を飛びまわって、悪い虫をみんな食べたのであります。その中に、一ぴき大きなこうもりがありました。その大きなこうもりは、・・・ 小川未明 「牛女」
・・・静かな自然には、変わりがないのです。日暮れ方になると、真っ赤に海のかなたが夕焼けして、その日もついに暮るるのでした。 いつ、どこからともなく、一人のおじいさんが、この城跡のある村にはいってきました。手に一つのバイオリンを持ち、脊中に箱を・・・ 小川未明 「海のかなた」
出典:青空文庫