・・・舟繋ぎおわれば臥席巻きて腋に抱き櫓を肩にして岸に上りぬ。日暮れて間もなきに問屋三軒皆な戸ざして人影絶え人声なし。源叔父は眼閉じて歩み我家の前に来たりし時、丸き眼みはりてあたりを見廻わしぬ。「我子よ今帰りしぞ」と呼び櫓置くべきところに櫓置・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・冬の旅人の日暮れて途遠きを思う時、遥かに望みて泣くはげにこの火なり。 伊豆の山燃ゆ、伊豆の山燃ゆと、童ら節おもしろく唄い、沖の方のみ見やりて手を拍ち、躍り狂えり。あわれこの罪なき声、かわたれ時の淋びしき浜に響きわたりぬ。私語くごとき波音・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・三月の末でございました、ある日朝から六蔵の姿が見えません、昼過ぎになっても帰りません、ついに日暮れになっても帰って来ませんから田口の家では非常に心配し、ことに母親は居ても立ってもいられん様子です。 そこで私はまず城山を捜すがよかろうと、・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・田中という村にて日暮れたれば、ここにただ一軒の旅舎島田屋というに宿る。間の宿とまでもいい難きところなれど、幸にして高からねど楼あり涼風を領すべく、美からねど酒あり微酔を買うべきに、まして膳の上には荒川の鮎を得たれば、小酌に疲れを休めて快く眠・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・さてそれより塩竈神社にもうでて、もうこの碑、壺の碑前を過ぎ、芭蕉の辻につき、青葉の名城は日暮れたれば明日の見物となすべきつもりにて、知る人の許に行きける。しおがまにてただの一銭となりければ、そを神にたてまつりて、からからとからき・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・その翌々日、すでに飲酒を為した。日暮れて、男は蹌踉、たばこ屋の店さきに立った。「すみません」と小声で言って、ぴょこんと頭をさげた。真実わるい、と思っていた。娘は、笑っていた。「こんどこそ、飲まないからね」「なにさ」娘は、無心に笑・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・…… 日暮れにツウム・ワイセン・ヒルシュという宿屋についた。食後にみんなが学生の唱歌を歌った。アフリカに行っていたドクトルMはズアヘリ土人の歌というものを歌って聞かせたが、それがどれだけ本当のものに似ているかそれは誰にも分らなかった。日・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・ ある日暮れ方に庭へ出ていると台所がにぎやかになった。女や子供らの笑う声に交じって聞きなれない男の笑い声も聞こえた。「イー猫だねえ」と「イー」に妙なアクセントをつけた妻の声が明らかに聞こえた。それは出入りの牛乳屋がどこかからもらって、小・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ 邦楽座わきの橋の上から数寄屋橋のほうを、晴れた日暮れ少し前の光線で見た景色もかなりに美しいものの一つである。川の両岸に錯雑した建物のコンクリートの面に夕日の当たった部分は実にあたたかいよい色をしているし、日陰の部分はコバルトから紫まで・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
出典:青空文庫