・・・ とややありて切なげにいいし一句にさえ、呼吸は三たびぞ途絶えたる。昼中の日影さして、障子にすきて見ゆるまで、空蒼く晴れたればこそかくてあれ、暗くならば影となりて消えや失せむと、見る目も危うく窶れしかな。「切のうござんすか。」 ミ・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・始めて引越して来たころには、近処の崖下には、茅葺屋根の家が残っていて、昼中もにわとりが鳴いていたほどであったから、鐘の音も今日よりは、もっと度々聞えていたはずである。しかしいくら思返して見ても、その時分鐘の音に耳をすませて、物思いに耽ったよ・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・広漠たる空地があるので、青空ばかりが限りなく望まれるが、目に入るものは浮雲の外には、遠くに架っている釣橋の鉄骨と瓦斯タンクばかりで、鳶や烏の飛ぶ影さえもなく、遠い工場の響が鈍く、風の音のように聞える。昼中でも道行く人は途絶えがちで、たまたま・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・何故と申しまするのに、貴方の下すったお手紙はわたしの心の中を光明と熱とで満したようで、わたしはあれを頂く頃は昼中も夢を見ているように、うろうろしておりましたが、あれがどれだけの事であったやら、後で思えばわたくしには分りません。仮令お手紙を上・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫