・・・里子を預かるくらいゆえ、もとより水呑みの、牛一頭持てぬ細々した納屋暮しで、主人が畑へ出かけた留守中、お内儀さんが紙風船など貼りながら、私ともう一人やはり同じ年に生れた自分の子に乳をやっていたのだが、私が行ってから一年もたたぬうちに日露戦争が・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・十月いっぱい私はほとんど病床で暮した。妻の方でも、妻も長女も、ことに二女はこのごろやはり結核性の腹膜とかで入院騒ぎなどしていて、来る手紙も来る手紙もいいことはなかった。寺の裏の山の椎の樹へ来る烏の啼き声にも私は朝夕不安な胸騒ぎを感じた。夏以・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・せるために、そして自分達もその息子を仕上げながら老後の生活をしていくために買った小間物店で、吉田の弟はその店の半分を自分の商売にするつもりのラジオ屋に造り変え、小間物屋の方は吉田の母親が見ながらずっと暮らして来たのであった。それは大阪の市が・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・夫妻がいつとなく祖父様とお呼び申すよう相成り候以来、父上ご自身も急に祖父様らしくなられ候て初孫あやしホクホク喜びたもうを見てはむしろ涙にござ候、しかし涙は不吉不吉、ご覧候えわれら一家のいかばかり楽しく暮らし候かを、父上母上及びわれら夫妻と貞・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・一国の青年がなまけて、軽くて、使命の自覚のないその日暮らしの状態であるときには、その国の娘たちの恋愛がきっと本来の純熱を失って、その淘汰性がゆるんでいるのだと思われる。それ故くれぐれも恋愛を軽くあしらってはならぬ。このごろは結婚も恋愛結婚で・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・絶対安静の病床で一カ月も米杉の板を張った天井ばかりを眺めて暮した後、やっと起きて坐れるようになって、窓から小高い山の新芽がのびた松や団栗や、段々畑の唐黍の青い葉を見るとそれが恐しく美しく見える。雨にぬれた弁天島という島や、黒みかゝった海や、・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
私は慶応三年七月、父は二十七歳、母は二十五歳の時に神田の新屋敷というところに生まれたそうです。其頃は家もまだ盛んに暮して居た時分で、畳数の七十余畳もあったそうです。併し世の中が変ろうというところへ生れあわせたので、生れた翌・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・アは、午後の三時になると、きまって特高室に出掛けて行って、キャンキャンした大声でケイサツを馬鹿呼ばりし、自分の息子を賞め、こんなことになったのは他人にだまされたんだと云い、息子をとられて、これからどう暮して行くんだ――それだけの事を文句も順・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・今一部屋もあったらと、私たちは言い暮らしてきた。それに、二階は明るいようでも西日が強く照りつけて、夏なぞは耐えがたい。南と北とを小高い石垣にふさがれた位置にある今の住居では湿気の多い窪地にでも住んでいるようで、雨でも来る日には茶の間の障子は・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・そして、しばらくの間なにごともなく、暮していました。 ウイリイは厩のそばに、部屋をもらっていました。夕方仕事がすみますと、ウイリイはその部屋へかえって、いつも窓をぴっしりしめて、例の三本の羽根をとり出しました。羽根は、お日さまのように、・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫