・・・元気よく小僧を呼んで、手に取り上げた一枚の皿と五円札とをつき出すと、小僧は有難うといって竹村君の顔をじろじろ見た。竹村君は小僧が皿を包むのをもどかしそうに待っていたが、包を受取ると急いで表へ飛び出した。そうして側目も振らずにいきなり電車へ飛・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・その文句は、有難う、いずれ拝顔の上とか何とかあるだけで、すこぶる簡単かつあっさりしていた。ちっとも「其面影」流でないのには驚いた。長谷川君の書に一種の風韻のある事もその時始めて知った。しかしその書体もけっして「其面影」流ではなかった。 ・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・「そうですか、それは有難う御座いますが、ちょっと国へ帰って来ようと思いますから、帰りによりましょう。そうですか。サヨナラ。」「おい車屋、長町の新町まで行くのだ。ナニ長町の新町といってはもう通じないようになったのか。それならば港町四丁目だ・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・見受ける処がよほど酩酊のようじゃが内には女房も待っちょるだろうから早う帰ってはどじゃろうかい。有り難うございます。………世の中に何が有難いッてお廻りさん位有難い者はないよ。こんな寒い晩でも何でもチャント立って往来を睨んで、何でも怪しいものと・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・農民一「どうもお有難うごあんした。これがらもどうがよろしぐお願いいだしあんす。」爾薩待「いや、さよなら。」爾薩待「ふん。亜砒酸は五十銭で一円五十銭もうけだ。これなら一向訳ないな。向こうから聞いた上でこっちは解決をつけてやる丈だか・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
・・・「有難うございます。年をとりますと彼方此方ががたがたになりましてね。本当にまあ!」 彼女は、丁寧に辞宜をした。「有難うございます」 そして、下げた頭をそのまま後じさりに扉をしめ、がちゃりと把手を元に戻して立ち去った。 部・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・「どうも有難うございます。何にしろ始めて此方へ来るもんですから勝手が分らなくって――白岡って処へ参るんですが……」 浦和を出たばかりに、婆さんは、「もう大宮でござんしょうか」と、私に質問を繰返した。下町の生活に馴れて汽車に乗・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・「ええ、有難う。本当に親父のいる頃不自由なくしてやってた癖が抜けないでね。本当に困っちゃいますよ」 一太は、楊枝の先に一粒ずつ黒豆を突さし、沁み沁み美味さ嬉しさを味いつつ食べ始める。傍で、じろじろ息子を見守りながら、ツメオも茶をよば・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ いつもなら、赤くなって、だまり返って居るお君が、力強い後楯がある様に、「ほんにそうどっせ、 袂糞やて父はんのおくれやはったものやと思えば有難う思うでのみますわ。と云い返した。「そうだろうってさ、 お前の・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
先日は脚本をわざわざまことに有難うございました。あれから丁度林町に出かけるところであったので、途中電車のさわがしさも忘れて拝見し始め、二三日うちにすっかり拝見致しました。いろいろの事を感じたので、早速、手紙を差上げたいと思・・・ 宮本百合子 「大橋房子様へ」
出典:青空文庫