・・・荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。思い出の暗い花が、ぱらぱら躍って、整理は至難であった。また、無理にこさえて八景にまとめるのも、げびた事だと思った。そのうちに私は、この春と夏、更に二景を見つけてしまったのである。 ことし四月四日に私は小石川の大・・・ 太宰治 「東京八景」
この音楽的映画の序曲は「パリのめざめ」の表題楽で始まる。まず夜明けのセーヌの川岸が現われる。人通りはなくて朝霧にぬれたベンチが横たわり、遠くにノートルダームの双生塔がぼんやり見える。眠りのまださめぬ裏町へだれか一人自転車を・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・八月二十八日 晴、驟雨 朝霧が深く地を這う。草刈。百舌が来たが鳴かず。夕方の汽車で帰る頃、雷雨の先端が来た。加藤首相葬儀。八月二十九日 曇、午後雷雨 午前気象台で藤原君の渦や雲の写真を見る。八月三十日 晴・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ 肌寒や馬のいなゝく屋根の上 かろうじて一足の草鞋求め心いさましく軽井沢峠にかかりて 朝霧や馬いばひあふつゞら折 馬は新道を行き我は近道を登る。小鳥に踏み落されて阪道にこぼれたる団栗のふつふつと蹄に砕かれ杖にころがさ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・その句、行き/\てこゝに行き行く夏野かな朝霧や杭打つ音丁々たり帛を裂く琵琶の流れや秋の声釣り上げし鱸の巨口玉や吐く三径の十歩に尽きて蓼の花冬籠り燈下に書すと書かれたり侘禅師から鮭に白頭の吟を彫る秋風の呉人・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・「けさの六時ころ ワルトラワーラの 峠をわたしが 越えようとしたら 朝霧がそのときに ちょうど消えかけて 一本の栗の木は 後光をだしていた わたしはいただきの 石にこしかけて 朝めしの堅・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ 十代の若いひとが、人生にめざめそめて、朝霧がいつかはれてゆくように自分の育って来た環境を自覚しはじめたとき。人間としての自我が覚醒しはじめて、自分を育て来ていまも周囲をとりかこんでいる社会と家庭のしきたりに、これまで思いもしなかっ・・・ 宮本百合子 「若い人たちの意志」
出典:青空文庫