・・・失礼な起しましょうと口々に騒ぐを制して、朝餉も別間において認め、お前さん方が何も恐がる程の事はないのだから、大勢側に附いて看病をしておやんなさいと、暮々も申し残して後髪を引かれながら。 その日、糸魚川から汽船に乗って、直江津に着きました・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ それは彼の田舎の家の前を通っている街道に一つ見窄らしい商人宿があって、その二階の手摺の向こうに、よく朝など出立の前の朝餉を食べていたりする旅人の姿が街道から見えるのだった。彼はなぜかそのなかである一つの情景をはっきり心にとめていた。そ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 朝なお早ければ街はまだ往来少なく、朝餉の煙重く軒より軒へとたなびき、小川の末は狭霧立ちこめて紗絹のかなたより上り来る荷車の音はさびたる街に重々しき反響を起こせり。青年は橋の一にたたずみて流れの裾を見下ろしぬ。紅に染め出でし楓の葉末に凝・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・涼しき中にこそと、朝餉済ますやがて立出ず。路は荒川に沿えど磧までは、あるは二、三町、あるいは四、五町を隔てたれば水の面を見ず。少しずつの上り下りはあれど、ほとほと平なる路を西へ西へと辿り、田中の原、黒田の原とて小松の生いたる広き原を過ぎ、小・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・高角度に写された煙突から朝餉の煙がもくもくと上がり始めると、あちらこちらの窓が明いて、晴れやかな娘の顔なども見える。屋上ではせんたく物を朝風に翻すおかみさんたちの群れもある。これらの画像の連続の間に、町の雑音の音楽はアクセレランドー、クレッ・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・ 姉と弟とは朝餉を食べながら、もうこうした身の上になっては、運命のもとに項を屈めるよりほかはないと、けなげにも相談した。そして姉は浜辺へ、弟は山路をさして行くのである。大夫が邸の三の木戸、二の木戸、一の木戸を一しょに出て、二人は霜を履ん・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・それ朝餉の竈を跡に見て跡を追いに出る庖廚の炊婢。サア鋤を手に取ッたまま尋ねに飛び出す畑の僕。家の中は大騒動。見る間に不動明王の前に燈明が点き、たちまち祈祷の声が起る。おおしく見えたがさすがは婦人,母は今さら途方にくれた。「なまじいに心せぬ体・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫