・・・夏の日郊外の植木屋を訪ねて、高山植物を求め帰り道に、頭上高く飛ぶ白雲を見て、この草の生えていた岩石重畳たる峻嶺を想像して、無心の草と雲をなつかしく思い、童話の詩材としたこともありました。一生のうちには、山へもいつか上る機会があるように漠然と・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・そのあたりから――と思われた――微かな植物の朽ちてゆく匂いが漂って来た。「君の部屋は仏蘭西の蝸牛の匂いがするね」 喬のところへやって来たある友人はそんなことを言った。またある一人は「君はどこに住んでも直ぐその部屋を陰鬱にしてしま・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出ている。ある家の裏には芭蕉の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好に刈られた松も見える。みな黝んだ下葉と新しい若葉で、いいふうな・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・これはロシアの景でしかも林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうとはなはだ異なっているが落葉林の趣は同じことである。自分はしばしば思うた、もし武蔵野の林が楢の類いでなく、松か何かであったらきわめて平凡な変化に乏しい色彩いちようなもの・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・そのあたりからは、植物性の物質が腐敗して発する吐き出したいような臭気が立ち上ってきた。最初、彼は、堪えられなかったものだが、日を経るうちに、馴れてきて、さほどに感じなくなった。それに従って、彼の身体には、知らず知らず醤油の臭いがしみこんでき・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・また植物にしても左様である、庭の雑草などの名や効能なんぞを教えて下すった事が幾度もある。私の注意力はたしかに其為に養われて居るかと思います。 小学校を了えて後は一年ばかり中学校を修めたが、それも廃めて英学を修める傍、菊地松軒という先生に・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・尚不思議奇々妙々なのは、植物の芋の蔓でもムカゴの蔓でも皆螺旋すると同じく、礦物の蔓もその実は螺旋的になッてるのだが、但し噴火山作用でメチャメチャになッて分らないのサ。火かえんも螺線になッて燃えるのだが凡眼では見えないのサ。風は年中螺旋に吹て・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・こう学士が立話をすると、土地から出て植物学を専攻した日下部は亡くなった生徒の幼少い時のことなどを知っていて、十歳の頃から病身な母親の世話をして、朝は自分で飯を炊き母の髪まで結って置いて、それから小学校へ行った……病中も、母親の見えるところに・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・一茎の植物に似ていた。春は花咲き、秋は紅葉する自然の現象と全く似ていた。自然には、かなわない。ときどきかれは、そう呟いて、醜く苦笑した。けれども、全部に負けた、きれいに負けたと素直に自覚して、不思議にフレッシュな気配を身辺に感じることも、た・・・ 太宰治 「花燭」
・・・故意に飛び込んだのではなくて、まったくの過失からであった。植物の採集をしにこの滝へ来た色の白い都の学生である。このあたりには珍らしい羊歯類が多くて、そんな採集家がしばしば訪れるのだ。 滝壺は三方が高い絶壁で、西側の一面だけが狭くひらいて・・・ 太宰治 「魚服記」
出典:青空文庫