ある秋仏蘭西から来た年若い洋琴家がその国の伝統的な技巧で豊富な数の楽曲を冬にかけて演奏して行ったことがあった。そのなかには独逸の古典的な曲目もあったが、これまで噂ばかりで稀にしか聴けなかった多くの仏蘭西系統の作品が齎らされ・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・ このようにして連句の運動が進行するありさまはある度までたとえばソナタのごとき楽曲の構造に類する。この比較についてはかつて雑誌「渋柿」誌上で細論したからここには略するが、それと全く同じことが映画の律動的編成についても言われるのである。そ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・この映画の独自な興味は結局太鼓の音と靴音とこれに伴なう兵隊の行列によって象徴された特異なモチーフをもって貫かせた楽曲的構成にあると思われる。そうしてその単純明白なモチーフが非常に多面的立体的に取り扱われているために、同じものの繰り返しが少し・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・というふうに楽曲の名前が並べてあるだけで、いったいどんなものを見せられるか全く見当がつかない。 さて、映写が始まって音楽が始まると同時に、暗いスクリーンの上にいろいろの形をした光の斑点や線条が順次に現われて、それがいろいろ入り乱れた運動・・・ 寺田寅彦 「踊る線条」
・・・ことに文句に絶えず頭を使いながらせき込んで印字機の鍵盤をあさる時、ひき慣れないむつかしい楽曲をものにしようとして努力する時、そういう時には病的に過敏になった私の胃はすぐになんらかの形式で不平を申し出した。しかしこれは手や指を使うというよりも・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・そうして懐紙のページによって序破急の構成がおのずから定まり、一巻が渾然とした一楽曲を形成するのである。 発句は百韻五十韻歌仙の圧縮されたものであり、発句の展開されたものが三つ物となり表合となり歌仙百韻となるのである。発句の主題は言葉の意・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 連句と音楽とのいろいろな並行性を考えるときに、いつも私の痛切に感じる一つの点は、歌仙の終局の数句の推移の感じが実によく楽曲の終節の感じに似ていることである。曲の最後に打ち止めの主和弦が端然として響く前にあらかじめ不協和な一団の音群があ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫