・・・ ホテルの付近の山中で落葉松や白樺の樹幹がおびただしく無残にへし折れている。あらしのせいかと思って聞いてみると、ことしの春の雪に折れたのだそうである。降雨のあとに湿っぽい雪がたくさん降って、それが樹冠にへばりついてその重量でへし折られた・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・今年の春、勝手口にあった藤を移植して桜にからませた、その葉が大変に茂っていたので、これに当たる風の力が過大になって、細い樹幹の弾力では持ち切れなくなったものと思われる。 これで見ても樹木などの枝葉の量と樹幹の大きさとが、いかによく釣合が・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・単にその技巧の上から見ても津田君の例えばある樹幹の描き方や水流の写法にはどことなくゴーホを想起させるような狂熱的な点がある。あるいは津田君の画にしばしば出現する不恰好な雀や粟の穂はセザンヌの林檎や壷のような一種の象徴的の気分を喚起するもので・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・これは人間の祖先の猿が手で樹枝からぶら下がる時にその足で樹幹を押えようとした習性の遺伝であろうと言った学者があるくらいであるから、猫の足踏みと文明人のダンスとの間の関係を考えてみるのも一つの空想としては許されるべきものであろう。・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・この場合は前の多くの場合とは反対に枝の末端のほうから樹幹のほうへ事がらが進行するので、この点でも地上の斜面に発達する河流の樹枝状系統によく似ている。 これらの現象を通じて言われることは、普通の古典的な理論的考察からすれば、およそ一様に均・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・ そうかと思うと、たとえばはげしい颶風があれている最中に、雨戸を少しあけて、物恐ろしい空いっぱいに樹幹の揺れ動き枝葉のちぎれ飛ぶ光景を見ている時、突然に笑いが込みあげて来る。そしてあらしの物音の中に流れ込む自分の笑声をきわめて自然なもの・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・木によって違うだろうが楓なら、坐った高さで先ず若葉ごしの日光を受ける幹が目に入る程よくこみ合い、根を張った樹の幹の眺めは、心を落つかせ、実によいものだ。樹幹の風致を充分味わせながら、当然青葉若葉も瞳に映る。明るく、確りしてい、同時に溢れる閑・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
出典:青空文庫