・・・まして価値に高さと強さとの二次元を認める以上、高くても弱い価値と、低くても強い価値といずれを選ぶべきかは必ず懐疑に陥れる。大衆を啓蒙すべきか、二、三の法種を鉗鎚すべきか、支那の飢饉に義捐すべきか、愛児の靴を買うべきかはアプリオリに選択できる・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・しからばこれらの在来の時空四次元的芸術と映画といかなる点でいかに相違するかという問題が起こって来る。 まず最も分明な差別はこれらの視覚的対象と観客との相対位置に関する空間的関係の差別である。舞踊や劇は一定容積の舞台の上で演ぜられ、観客は・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・然、不純真、似而非、贋造といったようなあまりかんばしくない要素を含んでいるが、また一面においてはそうしたかんばしくないものを、もう一ぺんひっくりかえして裏から見たときに、その背面から浮かび出して来る高次元に真なるもの純なるものの高次元の美し・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・実在の三次元の空間の一次元を割愛してただ二次元の断面に限定する代わりに、第四次元たる時間を一次元空間に投射することによって時間の経過をわれわれの任意に支配するという考えは両者に共通のものと考えられる。器械的技巧の点においてはほとんど問題にな・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・すなわちまず三次元の空間の幾何学に一次元の時間を加えた運動学的の世界を構成し、さらにこれに質量あるいは力の観念を付加した力学的の世界像を構成し、そうして日常の生活をこれによって規定していることは事実である。もしも、これがなかったら、われわれ・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・あるいは結局いつまで論議しても纏まりの付かないような高次元の迷路をぐるぐる廻るようなことになるかもしれない。 こういう疑いは、問題の学問が、複雑極まる社会人間に関する場合に最も濃厚であるが、しかし、外見上人間ばなれのした単なる自然科学の・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・しかし従来のように言語の進化をただ一次元的、線的のもののように考えるあまりに単純な基礎仮定から出発した言語学ではこの問題は説明される見込みはない。たとえば自分がかつて提議したような統計的方法でも、少なくも一つの試みとして試みなければならない・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・飛ぶがごとく駈け寄った要太の一と捻りに、この小さな生命はもう超四次元の世界の彼方に消えてしまったのであった。「鴫突き」を実見したのは前後にただこの一度だけであった。のみならず、その後にもかつて鴫突きの話を聞いた事さえない。従って現在高知・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・ 十年来むし込んでおいた和本を取り出してみたら全部が虫のコロニーとなって無数のトンネルが三次元的に貫通していた。はたき集めた虫を庭へほうり出すとすずめが来て食ってしまった。書物を読んで利口になるものなら、このすずめもさだめて利口なすずめ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・色彩と第三の空間次元を取り去ったスクリーンの上の平面影像は、事象により多くの客観性を付与し、そのおかげで、現場では隠蔽されるような認識能力の活動を可能にするからである。 広い意味でのニュース映画によって、人間は全く新しい認識の器官を獲た・・・ 寺田寅彦 「ニュース映画と新聞記事」
出典:青空文庫