・・・ 上って見ると鏡のように拭いた摺縁は歩りくと足の下がぎしぎし鳴る位だ、お町はやがて自分も着物を着替て改った挨拶などする、十になる児の母だけれど、町公町公と云ったのもまだつい此間の事のようで、其大人ぶった挨拶が可笑しい位だった、其内利助も・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・そして此間に相手の女学生の体からは血が流れて出てしまう筈だと思っていた。 夕方になって女房は草原で起き上がった。体の節節が狂っていて、骨と骨とが旨く食い合わないような気がする。草臥れ切った頭の中では、まだ絶えず拳銃を打つ音がする。頭の狭・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・今に見ろ、大臣に言って遣るから。此間委員会の事を聞きに往ったとき、好くも幹事に聞けなんと云って返したな。こん度逢ったら往来へ撮み出して遣る。往来で逢ったら刀を抜かなけりゃならないようにして遣る。」 左隣の謡曲はまだ済まない。右の耳には此・・・ 太宰治 「花吹雪」
此間魯庵君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。夫では一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、軸が減った・・・ 夏目漱石 「余と万年筆」
・・・雖然どう考えても、例えば此間盗賊に白刃を持て追掛けられて怖かったと云う時にゃ、其人は真実に怖くはないのだ。怖いのは真実に追掛けられている最中なので、追想して話す時にゃ既に怖さは余程失せている。こりゃ誰でもそうなきゃならんように思う。私も同じ・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・ 呑助が酒を取り上げられたのと同じになるのをつい此間から草花でまぎらす事を気がついた。 五六本ある西洋葵の世話だのコスモスとダーリアの花を数えたりして居る。 早りっ気で思い立つと足元から火の燃えだした様にせかせか仕だす癖が有るの・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・ 此間中から、私の思って居る種々の事を申上度いと思って居りましたが、つい延び延びに成って仕舞いました。決して忘れて居たのではございませんが、近頃、私の生活の上に起った変動は、非常に大きく私の精神上に波動を与えました。決して混乱ではござい・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 此間から、どうかして、今の家のプランを画いて見たいと思って居た。なかなか出来ない。到頭、今、曲りなりに線を引いて見た。時が経って見たら面白いだろう。此程、単純な平面に区切りをつけるに苦心を要するのを考えると母上が、まるでプラン・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・ その先生の夢を思い掛けず此間の晩に見た。先生は昔のように細面な、敏感な、眼の潤うた青年で居られた。するとその翌朝故国から来た弟の手紙が、計らずもその先生の断片的な消息を齎して来た、私は生れて始めて、此丈符合した夢を見た。人が呼ぶ偶然の・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・ ボソボソと、独りでシチューで御飯をたべる。 なまけた重い眠りが、まだ瞼や頬にまといついて居る様で、御飯の味もろくにしなかった。 此間電話を掛けて呉れて、その時一寸覚えで居たまま忘れて仕舞ったK子の住所が気になってたまらない。・・・ 宮本百合子 「曇天」
出典:青空文庫