・・・が、亭主が人殺しをして、唇の色まで変って震えているものを、そんな事ぐらいで留めはしない……冬の日の暗い納戸で、糸車をじい……じい……村も浮世も寒さに喘息を病んだように響かせながら、猟夫に真裸になれ、と歯茎を緊めて厳に言った。経帷子にでも着換・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・……森のめぐりの雨雲は、陰惨な鼠色の隈を取った可恐い面のようで、家々の棟は、瓦の牙を噛み、歯を重ねた、その上に二処、三処、赤煉瓦の軒と、亜鉛屋根の引剥が、高い空に、赫と赤い歯茎を剥いた、人を啖う鬼の口に髣髴する。……その森、その樹立は、……・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・の桃に米蹈む男かな 同時鳥大竹藪を漏る月夜 同さゝれ蟹足はひ上る清水かな 同荒海や佐渡に横ふ天の川 同猪も共に吹かるゝ野分かな 同鞍壺に小坊主乗るや大根引 同塩鯛の歯茎も寒し魚の店 同等二十句を・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ お金は、黒ずんだ歯茎をむき出して、怒鳴り散らした。 栄蔵にも、お君にも、「今月分」として十円だけもらって来たのがどれだけ馬鹿なのか、間抜けなのか分らなかった。 家の様子も知らないで、やたらに川窪を疑って居るお金の言葉に、栄・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・赤い歯茎だけが尽く歯を落して了って、私の顔であるにも拘らずその歯を落した私の顔が私にからかって来るのである。 夢の解答 私は今年初めて伯父に逢った。伯父は七十である。どう云う話のことからか話が夢のことに落ちて行った。そ・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
出典:青空文庫