・・・そして少しの間不快が去りませんでした。気軽にOにそのことを云えばよかったのです。口にさえ出せば再びそれを可愛い滑稽なこと」として笑い直せたのです。然し私は変にそれが云えなかったのです。そして健康な感情の均整をいつも失わないOを羨しく思いまし・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・りてかの地に渡り一かせぎ大きくもうけて帰り、同じ油を売るならば資本をおろして一構えの店を出したき心願、少し偏屈な男ゆえかかる場合に相談相手とするほどの友だちもなく、打ちまけて置座会議に上して見るほどの気軽の天稟にもあらず、いろいろ独りで考え・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・細君は気軽な人物で何事もあきらめのよいたちだから文句はない。愚痴一つ言わない。お菊お新の二人も、母を助けて飯もたけば八百屋へ使いにも行く。かくてこそ石井翁の無為主義も実行されているのである。 ところが武の母は石井翁の細君の妹だけに、この・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・と細君は主人が斜ならず機嫌のよいので自分も同じく胸が闊々とするのでもあろうか、極めて快活に気軽に答えた。多少は主人の気風に同化されているらしく見えた。 そこで細君は、「ちょっとご免なさい。」と云って座を立って退いたが、やがて・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・そしてその二つが同じように進んでいたとき、龍介は気軽に女と会えた。恵子はかえって彼に露骨な好意を見せた。女から手紙が時々来た。「あなたがくる気が朝からしていた。が、とうとうあなたはお見えにならない。胸が苦しくなる想いで寝た」そんなことなど書・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・いざ旅となれば、私も遠い外国を遍歴して来たことのある気軽な自分に帰った。古い鞄も、古い洋服も、まだそのまま役に立った。連れて行く娘のしたくもできた。そこで出かけた。 この旅には私はいろいろな望みを掛けて行った。長いしたくと親子の協力とか・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・若い気軽な看護婦達はおげんが退院の手伝いするために、長い廊下を往ったり来たりした。「小山さん、いよいよ御退院でお目出とうございます」 と年嵩な看護婦長までおげんを見に来て悦んでくれた。「では、伯母さん、御懇意になった方のところへ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・それから、気軽に立って、おい佐吉さん、銭湯へ行こうよと言い出すのだから、相当だろう。風呂へ入って、悠々と日本剃刀で髯を剃るんだ。傷一つつけたことが無い。俺の髯まで、時々剃られるんだ。それで帰って来たら、又一仕事だ。落ちついたもんだよ。」・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・また媒妁人は、大学で私たちに東洋美術史を教え、大隅君の就職の世話などもして下さった瀬川先生がよろしくはないか、という私の口ごもりながらの提案を、小坂氏一族は、気軽に受けいれてくれた。「瀬川さんだったら、大隅君にも不服は無い筈です。けれど・・・ 太宰治 「佳日」
・・・そんな場合、さあ、さあ、と気軽に座蒲団をすすめる男は、男爵でなかった。よく思い切って訪ねて来て呉れましたね、とほめながらお茶を注いでやる別の男は、これも男爵でなかった。君の眼は、嘘つきの眼ですね、と突然言ってその新来の客を驚愕させる痩せた男・・・ 太宰治 「花燭」
出典:青空文庫