発端 肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。 ところが寛文七年の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・「わたくしの夫、一番ヶ瀬半兵衛は佐佐木家の浪人でございます。しかしまだ一度も敵の前に後ろを見せたことはございません。去んぬる長光寺の城攻めの折も、夫は博奕に負けましたために、馬はもとより鎧兜さえ奪われて居ったそうでございます。それでも合・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・ 伊助の浄瑠璃はお光が去ってからきゅうに上達し、寺田屋の二階座敷が素義会の会場につかわれるなど、寺田屋には無事平穏な日々が流れて行ったが、やがて四、五年すると、西国方面の浪人たちがひそかにこの船宿に泊ってひそびそと、時にはあたり憚か・・・ 織田作之助 「螢」
・・・それにしろ二間の余もあるものを持って来るのも大変な話だし。浪人の楽な人だか何だか知らないけれども、勝手なことをやって遊んでいる中に中気が起ったのでしょうが、何にしろ良い竿だ」と吉はいいました。 「時にお前、蛇口を見ていた時に、なんじゃな・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ これを見た目で「素浪人忠弥」というのをのぞいて見た。それはただ雑然たる小刀細工や糊細工の行列としか見えなかった。ダイアモンドを見たあとでガラスの破片を見るような気がした。しかし観客は盛んに拍手を送った。中途から退席して表へ出で入り口を・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 例えば殺人罪を犯した浪人の一団の隠れ家の見当をつけるのに、目隠しされてそこへ連れて行かれた医者がその家で聞いたという琵琶の音や、ある特定の日に早朝の街道に聞こえた人通りの声などを手掛りとして、先ず作業仮説を立て、次にそのヴェリフィケー・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・かの志士と云い、勇士と云い、智者と云い、善人と云われたるものもここにおいてかたちまちに浪人となり、暴士となり、盲者となり、悪人となる。 今の評家のあるものは、ある点においてこの教師に似ていると思う。もっとも尊敬すべき言語をもって評家を翻・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・その頃はこだては榎本武揚の事があった故か仙台の浪人が多く居た。一人、四国の漢学者の浪人アリ。攘夷論の熾なとき故一つ殺してやろう、その前に何というかきいてやれと会った。ニコライ、まだ来たて故日本語下手だが話して居るうちに迚も斬れず。空しくかえ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 西川氏の周囲には浪人ものが多く集って居る。なかに、九州の人で、帝大を卒業するときやめ、車夫になり、体がよわくなってから「梶棒をすて」今は知人に一斤ずつ米をもらったりして、働かなければならないと云うなら死ぬと云って、桃太郎主義を奉じて居・・・ 宮本百合子 「一九二三年冬」
・・・京都生れの武士であった近松は、当時崩れゆく武家の経済事情に押し流されて、いくつかの主家を転々した末は浪人して、歌舞伎の大成期であったその時代から辛苦の多い劇作家の生活に入った。芭蕉よりは十歳以上若い彼は、やはり同じ時代の芸術家らしい現実的、・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫