・・・が、三浦は澱みなく言を継いで、『これが僕にとっては、正に第一の打撃だった。僕は彼等の関係を肯定してやる根拠の一半を失ったのだから、勢い、前のような好意のある眼で、彼等の情事を見る事が出来なくなってしまったのだ。これは確か、君が朝鮮から帰って・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 少年は言淀みぬ。お貞は襟を掻合せ、浴衣の上前を引張りながら、「それだから昨日も髪を結わない前に、あんなに芳さんにあやまったものを。邪慳じゃあないかね。可よ、旦那が何といっても、叱られても大事ないよ。私ゃすぐ引毀して、結直して見せよ・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・宮裏に、この地境らしい、水が窪み入った淀みに、朽ちた欄干ぐるみ、池の橋の一部が落込んで、流とすれすれに見えて、上へ落椿が溜りました。うつろに、もの寂しくただ一人で、いまそれを見た時に、花がむくむくと動くと、真黒な面を出した、――尖った馬です・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 色も空も一淀みする、この日溜りの三角畑の上ばかり、雲の瀬に紅の葉が柵むように、夥多しく赤蜻蛉が群れていた。――出会ったり、別れたり、上下にスッと飛んだり。あの、紅また薄紅、うつくしい小さな天女の、水晶の翼は、きらきらと輝くのだけれど、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・嵐を免れて港に入りし船のごとく、激つ早瀬の水が、僅かなる岩間の淀みに、余裕を示すがごとく、二人はここに一夕の余裕を得た。 余裕をもって満たされたる人は、想うにかえって余裕の趣味を解せぬのであろう。余裕なき境遇にある人が、僅かに余裕を発見・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 耕吉は半信半疑の気持からいろいろと問訊してみたが、小僧の答弁はむしろ反感を起させるほどにすらすらと淀みなく出てきた。年齢は十五だと言った。で、「それは本当の話だろうね。……お前嘘だったらひどいぞ」と念を押しながら、まだ十二時過ぎたばか・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・衣食のために色々の業に従がい、種々の人間、種々の事柄に出会い、雨にも打たれ風にも揉れ、往時を想うて泣き今に当って苦しみ、そして五年の歳月は澱みながらも絶ず流れて遂にこの今の泡の塊のような軽石のような人間を作り上たのである。 三年前までは・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・谷川の水、流れとともに大海に注がないで、横にそれて別に一小沢を造り、ここに淀み、ここに腐り、炎天にはその泥沸き、寒天にはその水氷り、そしてついには涸れゆくをまつがごときである。しかしかれと対座してその眼を見、その言葉をきくと、この例でもなお・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・かれが前なる流れは音もせで淀みなく走るを、初めかれ心なくながめてありしが、見よ、水上より流れ来たる木の葉を、かれはひたすらながめ入りぬ。紅の葉、黄色の葉、大小さまざまの木の葉はたちまち木陰より走りいでてまた木陰にかくれ走りつ。たちまち浮かび・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・川は巌の此方に碧の淵をなし、しばらく澱みて遂に逝く。川を隔てて遥彼方には石尊山白雲を帯びて聳え、眼の前には釜伏山の一トつづき屏風なして立つらなれり。折柄川向の磧には、さしかけ小屋して二、三十人ばかりの男打集い、浅瀬の流れを柵して塞き、大きな・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫